保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「赤木ファイル」開示について(1) ~待ち望んだ開示だが…~

《遺族の求めから1年、財務省がようやく「赤木ファイル」の開示に応じた。改ざんに加担させられたことを苦に自死した元近畿財務局職員、赤木俊夫さんが経緯を記録した文書である》(6月24日付朝日新聞社説)

 が、<改ざんに加担させられたことを苦に自死した>というのは勝手な憶測である。例えば、民進党(当時)議員の財務省への「カチコミ」も堅気(かたぎ)の人間には恐怖以外の何ものでもなかったであろう。

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  ここで<自死>という表現を確認しておこう。

《「自死・自殺」の表現をめぐって、一部自治体では表現をすべて「自死」に統一する決定をしたと伝えられています。「自殺」という文字には犯罪を想起させるものがあり、亡くなった人に対しても、また遺族に対しても偏見や差別を助長すると、遺族を中心に「自死」に言い換えて欲しいという声があります。自死遺族、自死遺児など遺族に関連した表現(つまり二人称の死を表す時)では広く使われるようになり、かなり定着してきました。

 一方で、生きる価値や意味を見いだせない、自己肯定感を持てずに追い詰められた時の自らの行為は「自殺」だったという自殺未遂者の重い言葉があります。自殺防止や未遂者支援に関わっている関係者から、多くの自殺は瞬間(点)で起きることではなく、様々な要因が重なりプロセスで起きており、その行為を表す時には「自殺」とせざるを得ないという声も強くあります》(NPO 法人 全国自死遺族総合支援センター:​「自死・自殺」の表現に関するガイドライン ~「言い換え」ではなく丁寧な「使い分け」を~​)

 そこで同センターは次のような原則を設けている。

自死・自殺の表現に関する3原則(「自死・自殺」の表現に関するガイドライン

(1)行為を表現するときは「自殺」を使う

(2)多くの自殺は「追い込まれた末の死」として、プロセスで起きていることを理解し、「自殺した」ではなく「自殺で亡くなった」と表現する

(3)遺族や遺児に関する表現は「自死」を使う(同)

 神戸社説は朝日社説と瓜二つに書く。

《学校法人森友学園への国有地売却を巡る決裁文書改ざん問題で、一連の経緯を記録した「赤木ファイル」を、国がようやく開示した。

 改ざんに加担させられたことを苦に自ら命を絶った元財務省近畿財務局職員、赤木俊夫さんが残した文書だ》(6月28日付神戸新聞社説)

 別にコピペしても構わないのだけれども、やはり<改ざんに加担させられたことを苦に自ら命を絶った>の部分は引っ掛かる。【続】