保守論客の独り言

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皇位継承等の有識者会議について(8) ~5月31日政府有識者会議~

5月31日の政府有識者会議では以下のような意見が出された。

君塚直隆氏「男系男子にのみ皇位継承資格を与えるという現行制度を改定し、女性皇族にも皇位継承資格を与えるとともに、現行の男性皇族と同様に、婚姻時もしくは適切な時期に宮家を創設し、ご自身、配偶者、お子さまを皇族とすべきである。皇位継承資格を女系に拡大することには賛成である」(産經ニュース 2021/6/1 00:22

 なぜ<すべき>なのかの理由が分からない。また、<皇位継承資格を女系に拡大すること>に君塚氏が個人的に賛成しようがしまいがどうでもよい話である。

曽根香奈子氏「女系天皇という言葉が間違っていると思う。もし、現在いわゆる女系天皇と定義しているものが誕生すれば、それは天皇ではなく、新たな王朝を開くこととなる。皇室の歴史が終わり、ひいては日本の歴史が終わり、新王朝の下、新たな国家を開くことになる」(同)

 過激な意見に聞こえるかもしれないが、「正論」だと思う。<女系天皇>などという反天皇派の空想の産物を現実化してしまっては、日本が日本でなくなってしまうだろう。

橋本有生氏「女系継承は(「皇位は、世襲」と規定し「皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とした)憲法2条に違反するという学説がある。女系継承を認めるとしたら、改正が必要とされるのは下位の法である皇室典範のみであって、憲法は含まれないものと考える」(同)

 憲法学者が安易に皇室問題に首を突っ込むことは疑問である。皇室の伝統は制定法ではなくより上位の慣習法から考えるべきものであることがお分かりでないようだ。

 さて、このような私見をいくら搔()き集めてみても、「公論」とはならないし、公の秩序を司る「法」(law)を探し出せないだろう。必要なのは「輿(こし)」によって現在に運ばれてきた先人達の声、「輿論(よろん)」に耳を傾けることではないか。

《歴史という名の国民精神の乗り物の「輿」に、つまり台の部分におかれて、私たちにまで運ばれてきた伝統精神、それが輿論である。それにたいし、伝統精神が過去の帷(とばり)の向こうに隠れても、世間で流行している論…こういうのを世論という。

 最も大事なのは、自分らの論の台座が、つまり輿が何であるかということではなかろうか。それが気分であるとか思いつきであるというのでは話にならない。どこぞの有名教授とか著名評論家がそういっていたというのも、彼らの論の間違いぶりはすでに実証済みなので、論外である。健全な気分や思いつきもあるし、優秀な学術や批評もあるのだが、そういう真っ当な代物は、まず間違いなく、伝統精神という名の良識を踏まえている》(西部邁国民の道徳』(産経新聞社)、pp. 557-558

 己を虚しくし、伝統に身を任せる。そのことなしに、死者の声を聴くことは出来ないのである。【了】