保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

女性参政権75年後の現実について

《男女ほぼ同数の社会でありながら、各界の意思決定の場に女性が圧倒的に少ない。とりわけ著しいのが政界であり、菅義偉政権の閣僚20人のうち女性はわずか2人にとどまる。「男女平等後進国」の日本を象徴する数字だ》(4月19日付西日本新聞社説)

 女性大臣が極端に少ないのはなぜか。女性が差別されているからなのか。であれば、能力はあるのに女性だから大臣になれない人は例えば誰がいるというのか。該当者がいなければただの「無いものねだり」である。

 女性大臣が少ないのは、そもそも女性が政治家になりたがらないからではないのか。市井(しせい)は政治家志望の女性であれているなどということは想像もつかない。つまり、日本の女性は政治に興味関心がないということではないかと疑われるのである。

 このような状況下で、大臣数の平等を言うのなら、女性にもっと政治に関心を有(も)ってくれと言うより他はないのではないか。

 が、女性が政治に関心がないのは女性の怠慢なのか。現状に大きな不満がないという意味ではないのか。それとも女性が今の政治に出て行っても政治が良くなるとは思えないという諦(あきら)めからくるものなのだろうか。

《このいびつな社会を変えるには政治が果たす役割は大きい。多様な声を反映させ、住みやすい社会実現のために女性の政界進出を促さねばならない》(同)

などという話は、女性の政治的無関心を棚上げした空論である。確かに、現在の国会は不活性である。が、それは与党が3分の2の議席を有し、難癖しか付けられない野党と、取材力を失ったマスコミ相手に胡坐をかいているからである。

 国会を活性化させるには、議論を成立させるための政界再編が必要である。そのためには、選挙制度をかつての中選挙区制に戻し、小選挙区制のように党を選択する選挙から、人を選択する選挙に変える必要がある。議員一人ひとりが哲学や信念を鮮明にすることが重要なのではないかということである。

《戦後、男女平等を定めた憲法の下、女性参政権が認められ、19464月の衆院選で初めて行使された。今からちょうど75年前のことだ。

(中略)全国で39人の女性が当選した。

 そして現在、衆院で女性の現職は46人で全体の99%にすぎない。この比率は列国議会同盟IPU)の調査で190カ国中166位と極めて低い》(同)

 男女平等の憲法が国民の間に浸透し、女性議員の数が減少した。皮肉というかこれが現実である。

《こうした現実を変えていくには、まずはトップリーダーの心掛けが大切だ。米国のバイデン大統領がハリス副大統領をはじめ政権の要職へ積極的に女性を登用したのは好例だろう》(同)

 政治を良くするためには良い人材を登用することであって、そこに男女の区別はない。女性を登用すれば、それだけで政治が良くなるなどと考えるのは超自然的妄想である。