保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「嫁」と言っちゃ駄目なのか(1) ~言葉の「沸点」が異様に低い人達~

2月16日放送の『火曜サプライズ』(日本テレビ系)において、俳優の松山ケンイチが発した一言が波紋を広げている。

松山:すごい節約してる。10代の頃は毎週服屋行ってたけど、服を買わない。髪を切るとかも…

(ここでウエンツが、散髪代を浮かすために撮影現場のヘアメイクさんに髪を切ってもらっているという松山の話を暴露)

松山:必要だからやってもらっているだけ…髪が伸びてしょうがない時は自分で切ってる。あと嫁に切ってもらってる。

(以上、ニコニコニュース 2021/02/21 17:30より抜粋)

 これに対し、

《こういう庶民感覚は好きだな》

《これだけ売れっ子なのにしっかりしているね。本当に良い旦那さんだ》

《地に足つけて生きてるなぁ。節約してても惜しみない愛を子に与え伝えているんだろうな。素敵なご夫婦だね》(同)

というごく普通の反応がある一方で、

《松山さんのことだけでもないけど、妻のことを嫁というのが、どうも個人的にだめ。嫁って…》

《嫁という間違った言葉を広めないでもらいたい》

《嫁って言ってほしくなかったなぁ》

《この発言はマズかった。「嫁」なんていったものなら、日本女性から袋叩きに合うのが今の日本ですよ》(同)

というおそらく年長世代には理解しがたい反応が見られたというのである。

 これは最近の若い世代が特定の言葉に対する「沸点」が異様に低くなっているということの顕(あらわ)れのように思われる。

 先日亡くなった、上方漫才トリオ横山ホットブラザーズ」のリーダー・横山アキラ氏が鋸(のこぎり)を叩きつつ言っていた「お・ま・え・は・あ・ほ・か」のようなお笑いはもはや成立せず、相手を「お前」と言ったり、「アホか」と言ったりするのは禁忌となりつつある。

 ここには「お前」や「アホ」といった言葉は使ってはならないと主張する人達の存在がある。おそらく一部の教師が子供たちに入れ知恵をしているのだと思われるが、証拠を出せと言われても困るので、「ただそんな気がするだけ」と言っておく。

《言語や名称は時代によって意味が違って来る。「お前」という言葉は昔は至尊の御前(おんまえ)に称するもので、先方に対する最敬語であった。しかるに後世次第にそれが濫用せられて、今では普通に目下の人にのみ用うることになった。自分はかつて隠岐に旅行して、或る片田舎の小さい宿屋に両三日を送った事があった。この時宿屋の女主なり、女中なりが、しきりに余輩に対して、「お前」「お前」を連発する。甚だ異様に、かつ不愉快に感じたが、同行の前代議士某君、島司某君等が余輩の為に、隠岐ではそれが先方に対する最敬語である事を説明してくれて、始めてなるほどと了解した事があった》(喜田貞吉『「特殊部落」と云う名称について』:青空文庫

 世代の違いや地域性を無視してある特定の言葉を使ってはならないなどと言えば、その人が生きてきた歴史や、その言葉が使われている地域を否定することになってしまいかねない。よって、ある言葉を使ってはならないなどと至極短絡的なことを一方的に主張するのは如何なものかと私などは思ってしまうのである。【続】