保守論客の独り言

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森会長の辞任について(1) ~大衆を煽るマスコミ~

東京五輪パラリンピック組織委員会森喜朗会長が辞意を固めた。女性蔑視ととられる発言が国内外の反発を買ったことでの引責である…その労は多とするが、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと述べた一連の発言は、内容もタイミングも悪すぎた。発言の方向性は五輪が目指すものとは明らかに正反対であり、新型コロナウイルス禍で五輪の開催そのものが危ぶまれる中での舌禍だった》(2月12日付産經新聞主張)

 最近の産經新聞は左翼紙顔負けである。

「女性がたくさん入っている理事会が時間がかかります」(毎日新聞2月3日22時41分)

とは、理事会の女性陣は話が長いという感想を述べたまでであり、まして後段で、

「私どもの組織委にも女性は何人いる? 7人くらいかな。みんなわきまえておられる。みんな競技団体からのご出身、また国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。お話もきちっと的を射ており、欠員があればすぐ女性を選ぼうとなる」(同)

と言っているのであるから、森氏の発言を女性一般を蔑視するものだとして吊し上げ、辞任にまで追い込むというのは尋常ではない。

 「男女平等」目線から見れば、森批判は「異常」としか思えない。が、女性は保護されねばならない、優遇されるべきだという「性差別主義者」目線から見れば、森発言は絶対に許せないということになってしまうのであろうか。

《情熱のない、すわっていがちな反省的な時代には、新開というものが、それ自体は無力なものであるにもかかわらず、その無気力な生活のなかに一種の生気を保持する唯一のものということになると、この幻影(=公衆)を育てあげてくることになろう。公衆こそ本来の水平化(=平等)の大家なのである》(キルケゴール「現代の批判」:『世界の名著 40』(中央公論社)桝田啓三郎訳、p. 400)

 マスコミが大衆を煽る。それは戦前から変わっていない。

 <五輪が目指すもの>などという「綺麗事」を持ち出すのも左翼の常套(じょうとう)手段である。<女性がたくさん入っている理事会が時間がかかる>という話が<五輪が目指すもの>にどうして抵触するのかさっぱり分からない。

《国連は持続可能な開発目標(SDGs)で「ジェンダーの平等」を打ち出し、国際オリンピック委員会(IOC)も五輪憲章で性差別を禁じている》(2月12日付東京新聞社説)

 UN、IOCはいつから絶対的存在になったのであろうか。そもそも「連合国」(United Nations)を「国連」などと称しているから誤解するのであって、UN内では日本は敵国である。また、IOCが性差別を禁じているのなら、五輪競技は男女別をやめるべきである。

《森氏の発言は女性蔑視にとどまらず、開かれた場での議論を尊ぶ民主的なルールに反する内容でもあり、二重に許されなかった》(同)

 森氏の発言を<女性蔑視>と見るのは、森氏を吊るし上げようとする「偏見」の目があるからではないか。批判するのに都合の良い部分だけを切り取って、偏った解釈を施し、辞めるまで吠え続ける。否、辞めただけでは済ませない。【続】