保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

川辺川ダム建設容認に難色を示す無責任(3) ~共同責任は無責任~

《方針転換の理由について、知事は「命と環境の両方を守ってほしいという民意だ」と説明した。苦渋の決断だったのだろうが、災害が起きるまで具体的な治水対策を講じることができなかった責任は重い》(11月22日付中國新聞社説)

 蒲島知事が責任をとらない理由が私には分からないが、住民が反対したから建設を取りやめたのであって自分には責任はないという考えなのだろうか。私はここに「民主主義」の暗部を見る。

 Everybody's business is nobody's business.(共同責任は無責任)

 が、知事が責任をとるにせよ、住民が責任をとるにせよ、誰かが責任を負わねばならないことに変わりはない。政治家は辞職するという責任の取り方があるが、住民はそうはいかない。が、自分たちが間違った判断をしたことで起こした災害への復興に対して口を挟まぬのが最低限の礼儀ではなかろうか。

地球温暖化などで豪雨が多発し、水害も激甚化している。ダムの能力には限界がある。治水の在り方も柔軟に変化させ、想定外のリスクに備えなければならない》(同、中國社説)

《近年、地球温暖化によって豪雨災害が激しさを増している。このため国は、ダムや堤防だけに頼る治水には限界があるという認識に立ち、「流域治水」という新たな考え方への転換を進めている》(11月20日付毎日新聞社説)

地球温暖化に伴って想定外の豪雨が相次ぎ、水害も大規模化している。ダムの防災効果を過信してはならない》(11月21日付南日本新聞社説)

 が、地球温暖化によって豪雨が多発しているなどという話は非科学的である。豪雨災害は昔から繰り返されているのであって、「何とかの一つ覚え」のようになんでもかんでも地球温暖化の所為(せい)にするのは止めるべきではないか。

 産業革命時に比して地球の気温が0・2度上昇しているから豪雨が頻発しているなどという話を信じろという方が無理だ。

《復興に関する県の有識者会議(五十旗頭真(いおきべまこと)座長)は、自然を地域振興に生かすことを柱に提言している。その中で、川辺川ダム建設の是非について「科学的根拠を住民に示して議論を進め、民意を形成することが重要」と指摘している》(11月14日付京都新聞社説)

 そうではないだろう。どうすれば同じような水害を起こさずに済むのか、それを考えるのが最優先である。それがどうして<自然を地域振興に生かす>などという牧歌的な話になるのか。

《単に水害からの復旧を求めるのでなく、この緑豊かな地域の特性を活かした流域総合振興としての熊本独自の「グリーンニューディール」を提案したいと思う》(​「令和2年7月豪雨からの創造的復興に向けた提言」​)

 そもそもどうして有識者会議の座長に五百旗頭氏を据えたのかが分からない(座長代理には御厨貴氏の名前もある)。

《五百旗頭氏については、北朝鮮による日本人拉致問題に関し、氏が〈中西寛・京大教授の結婚披露宴に出席した際、控え室で日本人拉致問題が話題になった際〉、〈「拉致なんて小さな問題にこだわるのは、日本外交として恥ずかしいよ。こっちははるかに多い◯百万人も強制連行しているのに」と言い放った〉という話があります》(「五百旗頭真氏とはいかなる人物か」:『THE正論 ~「正論」編集部の彷徨記』2011年4月14日)​【了】​