保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

大阪都構想再否決について(4) ~技術論一辺倒では変わらない~

《都構想はもともと大阪を成長させ、グローバルな大都市競争に打ち勝つことを主眼に置いていた。そのために大阪市を廃止して府と市の二重行政を解消し、成長に必要な権限と財源を府に集中させる狙いがあった》(11月2日付日本経済新聞社説)

 <グローバルな大都市競争>に精力を集中する。「大阪都構想」が是か非かは別にして、これなら筋は通っている。

《成長を優先すれば、ある程度、都市の自治や住民サービスが制約を受けるのは避けられない。それでも成長の恩恵でいずれ生活が向上すると思えれば、理解を得る道はあったかもしれない。

しかし、2度の住民投票に向かう過程で、都構想はサービス低下への懸念に配慮して特別区の権限や財源を重視する方向に傾き、成長への期待が薄らいだ。それなら大阪市を廃止するまでもないというのが市民の判断ではないか》(同)

 <グローバルな大都市競争>という大きな目標が消え、「二重行政の解消」に話が矮小化されてしまった。反対派も言うように、「二重行政の無駄」はバブル期のもので、今ではそのような無駄は無くなってしまった。であるなら、<大阪市を廃止するまでもない>

《各地の大都市が世界の都市と渡り合いながら、人や企業、資金を集めて成長していくには、より大きな裁量を持てる制度が重要だ。

(中略)

検討課題になるのが二重行政を解消するもう一つの選択肢である特別自治市構想だ。都構想とは逆に、政令市が道府県から独立し、市域での道府県の権限と税財源を一手に握る制度だ。横浜市や福岡市など志向する政令市は多い。

都構想と特別自治市構想という2つの大都市制度がそろえば、都市の特性に応じて制度を選択できる》(同)

 どうしてこういう技術論ばかりになるのだろうか。行政区分がどうなろうが、住んでいる人達は本質的に変わらない。福祉や平等に関心がある人達に自由を与えても喜ばれはしない。

《革命に依って、恐らく個人的な専制政治や、利欲或いは支配欲による圧制は、確かに廃棄できるであろうが、しかし人間の根本的な考え方の真の革新は、決して達成され得るものでない。そして新らしい先入見が、無思慮な大衆を引き回すための手綱になるのは、旧い先入見とまったく異なるところがないであろう》(カント『啓蒙とは何か』(岩波文庫)篠田英雄訳、p. 10)

 <革命>という言葉は保守思想とは疎遠であるが、ここでは「大改革」ぐらいに捉(とら)えてもらいたい。要は、外の世界が一新されても、内の世界の根本は決して改まらないということである。

《未成年でいることは、確かに気楽である。私に代わって悟性をもつ書物、私に代わって良心をもつ教師、私に代わって養生の仕方を判断してくれる医師などがあれば、私は敢えてみずから労することを用いないだろう。私に代わって考えてくれる人があり、また私のほうに彼の労に酬いる資力がありさえすれば、私は考えるということすら必要としないだろう。こういう厄介な仕事は、自分でするまでもなく、他人が私に代って引き受けてくれる》(同、p.8)

 大阪の停滞の裏には、このような「未成年者」の存在が疑われるのである。【続】