保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

菅首相の「自助・共助・公助」発言について(2) ~「自助」とは何か~

(「菅氏の描く社会像は… 『自助』優先、弱者置き去りの懸念」:東京新聞2020年9月15日06時00分)

 「自助」(self-help)とは、「共助・公助」を見据えた上で、「まずは自分でやってみる」ということではない。それでは「自らを助くる」ことにはならない。菅首相は、福祉国家に見られるような「公助」偏重を是正すべく「自助・共助・公助」と言っているだけで、「自助」の必要性を説いているわけではない。

 「自助・共助・公助」の必要を説く菅首相の話はごく平均的なものである。これに文句を付ける人達は自らが左翼であることを公言するようなものである。

 が、私はここで一歩踏み込んで「自助論」の必要性を問いたい。

"Heaven helps those who help themselves" is a well-tried maxim, embodying in a small compass the results of vast human experience. The spirit of self-help is the root of all genuine growth in the individual; and, exhibited in the lives of many, it constitutes the true source of national vigour and strength. Help from without is often enfeebling in its effects, but help from within invariably invigorates. Whatever is done FOR men or classes, to a certain extent takes away the stimulus and necessity of doing for themselves; and where men are subjected to over-guidance and over-government, the inevitable tendency is to render them comparatively helpless.(Samuel Smiles, Self Help, chap. 1)

(「天は自ら助くる者を助く」とは、時の試練を経た格言であり、膨大な人間の経験の成果が簡潔に具現化されている。自助の精神は、個人における真の成長の根源であり、多くの生活の中に示されたなら、それは民族の力の真の源泉となる。外部からの助けはしばしば衰弱させるような結果となるが、内部からの助けは常に元気づける。人々や階級のためになされたことは何であれ、ある程度自分でやることの刺激と必要を奪い去る。人々が誘導や政府に服従し過ぎるところでは、必然的に人々は比較的駄目になる傾向がある)

 一部に「自助」という言葉を「助」という漢字に引きずられ誤解する向きもある。

《「自助・共助・公助」は、防災や減災を考える際のキーワードとして取り上げられることが多い。災害に備えるため、市民や企業が自分で守る「自助」、互いに助け合う「共助」、国や地方自治体などによる「公助」を適切に分担しながら対策を進める必要性が指摘されている》(9月16日付沖縄タイムス社説)

 が、「自助」とは、本来自らを救助するというような意味合いの言葉ではない。

自助:他人の力に頼らずに、自分の力だけで物事を達成すること。[明鏡国語辞典

 「自助」とは他に依存せず「自立」することである。自分は何もせず、国のやり方にただ文句を言う。こういった国にぶらさがる人間ばかりになってしまっては国は成り立たない。

《我日本國人も今より學問に志し、氣力を慥(たしか)にして、先(ま)づ一身の獨立を謀(はか)り、隨(したがつ)て一國の富强を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るゝに足らん。道理あるものはこれに交まじわり、道理なきものはこれを打拂(うちはら)わんのみ。一身獨立して一國獨立するとはこの事なり》(「學問のすゝめ」3編:『福澤諭吉全集』(岩波書店)第3巻、p. 43)【続】