保守論客の独り言

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九州豪雨について(2) ~脱ダム隠しの苦しい東京社説~

東京新聞の言い訳がましい社説が面白い。

《明治以来、治水の基本はダムと堤防であり、水を河道の中に治めることに力を入れてきた。治水工事をすればするほど、流域の水は河川に集中し、流量は増加する。近年の頻繁な豪雨はそれに拍車をかけ、毎年のように大きな水害が発生している》(7月7日付東京新聞社説)

 水害は何か治水工事が元凶であるかのように言うのだが、言い掛かりも良い所である。

《ダムや巨大堤防などのハードを新たに建設すると、長い工期と多額の費用、それに地元の犠牲や環境への大きな負荷など、マイナスの要素が多い。

 そのため既存のものを活用して対応しなくてはならないのだが、現状ではそれも不十分だ》(同)

 ダムや巨大堤防によって得られる「利益」は無視し、ただ否定的側面ばかりに目をやって、損得計算をすることもなく、<既存のものを活用して対応しなくてはならない>などと口から出任せを言う。

《例えば今回、急激な豪雨だったこともあり、球磨川のダムでは小規模な「予備放流」は行われたが「事前放流」は見送られた。

 事前放流でダムの水をある程度流し、ダムの容量を増やしておけば、今回の豪雨でも流量を多少なりとも減らすことができ、堤防の決壊も避けられた可能性はある。

 ダムの満水に伴う「緊急放流」には至らなかったが、堤防決壊はなぜ避けられなかったのか。

 事前放流には水を利用する地元自治体などとの調整や、信頼できる降水量の予測が必要となる。

 今回の豪雨に当たり、何が不足していたかを検証して、今後に生かさねばならない》(同)

 何が不足していたのか。それは「川辺川ダム」であることは論を俟たない。このことを隠して議論しようとするのは卑怯である。

《多くの死者を出した球磨村の高齢者施設は、川沿いの危険な場所にあった。避難訓練はしていたというが、特別警報の発表から十分な時間がなかったこともあり、避難が間に合わなかった》(同)

 同様に特別警報発表の遅れを問題視している社説が多い。

気象庁は3日午後から九州南部に警戒を呼びかけていたが、雨は4日夜明け前に急速に強まった。そうした中でも、より早く大雨を予測し、強く警告を出すことはできなかったか。球磨川ではこれまでもたびたび水害があり、人吉市などでは「タイムライン」を作成、局面ごとに行政や住民の行動計画を定めていたことで知られる。それがどう役立ち、どんな課題がありそうか。そうした検証もいずれ必要になる》(7月5日付朝日新聞社説)

 勿論、出来るだけ早く特別警報を発表した方が良いに決まっている。が、集中豪雨の予測精度が低いという問題がある。予測精度が低いのに特別警報を出そうとすると、梅雨場は引っ切り無しに特別警報が出されるなどということになりかねない。

《国も自治体も「空振り」を恐れ、避難指示をためらってはならない。早め早めの情報の周知が、救える命を守る鍵となる》(7月6日付信濃毎日新聞社説)

 が、現実はおそらくそんなお気楽な話ではない。【続】