保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

九州豪雨について(1) ~民主党政権の失態~

《記録的な豪雨が九州を襲った。数十年に1度の雨が各地で降り、被害が広範囲に及んでいる》(7月7日付毎日新聞社説)

 まずは球磨川の氾濫である。

熊本県南部を半円を描くように流れる球磨川は、山間の盆地や狭い谷を抜ける。「日本三急流」の一つに数えられ、水害常襲地帯としても知られている》(7月6日付信濃毎日新聞社説)

 私が気になるのは、球磨川が<水害常襲地帯>であることに多くの社説が触れていないことである。今回の氾濫が「脱ダム」のせいであることに気付かれたくないからではないかと邪推したくもなる。

 2009年の政権交代の際、民主党政権は、「コンクリートから人へ」を標語に、ダム建設を中止した。当時は群馬県の八ッ場(やんば)ダム建設中止が大きく取り上げられていたが、球磨川水系最大の支流の川辺川ダムもその1つであった。

《国は1966年、洪水防止のため川辺川ダム建設計画を発表したが、賛成派と反対派が対立し、2008年に蒲島郁夫知事が建設反対を表明、09年に民主党政権が計画中止の方針を示した》(「熊本水害、治水は万全だったのか」:2020.7.6 zakzak

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 宮村忠・関東学院大学名誉教授(河川工学)は次のように指摘する。

「今回の氾濫で『ダムがあれば』と考えた人は当時の反対派にも少なくないのではないか。問題は記録的な豪雨だけでなく、豪雨に備える体制にもあった」(同)

 これはたまたまの話ではない。八ッ場ダムは安倍政権となって工事を再開し、昨年10月の台風19号では、試験貯水中ではあったが治水効果を発揮し水害を免れている。

 私はダムをいっぱい造れと言いたいわけではない。必要なダムもあれば、不要なダムもあろう。湯水の如くお金があるわけでもないのだから費用対効果も考えなければならない。自然破壊の問題もある。

 が、訳の分からぬ標語が先立って無責任にダムが否定されては堪(たま)らない。何より問題は、マスコミがこういった情報を隠し、国民に知らせる義務を怠っているということである。都合の悪いことは直(ひた)隠す。マスコミの情報操作は目に余る。

 宮村氏は言う。

「人吉周辺は以前は人も少なく、ある程度の氾濫を受け入れて立ち上がることができた。しかし、現在は、交通インフラも整い、施設も増え、氾濫を受け入れる選択肢はない。だとすれば、ダムによる治水が必要だった」(同)

 が、各紙社説の中で唯一川辺川ダムに触れている毎日社説も白々しいことを書いている。

球磨川は過去に何度も氾濫を起こしている。支流の川辺川ダムの建設計画が地元の反対で2009年に中止となり、国と県、流域自治体がダムに代わる治水策を協議しているところだった》(同、毎日社説)

 代替案もなくダム建設を中止し放置した。それが今回の水害を引き起こした大きな要因であることは間違いない。世間では普通これを「無責任」という。【続】