保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

検事と記者のずぶずぶの関係について

西日本新聞の永田健・特別論説委員は自問する。

《黒川弘務前東京高検検事長が記者と賭けマージャンをしていたことが発覚し、辞職に追い込まれた。

 そもそも賭けマージャン自体が違法であるし、緊急事態宣言の発令中に「3密」状態で遊んでいたのもよろしくない。ただ、私にとって切実に感じられたのは次のような論点である。

 「検事長と記者が賭けマージャンをするほど『ずぶずぶの関係』になってしまうというのは、報道の在り方として適切なのか」》(西日本新聞2020/5/31 11:00)

 適切かと問われれば、適切ではないと言わざるを得ないだろう。が、必要かと問われればどうか。「必要悪」などという言葉もある。どういった判断基準を当てはめるかで、おそらく異なった判断結果が得られるに違いない。一筋縄ではいかない問題である。

《新聞社の伝統的な価値観とは-。「記者は特ダネを書いてナンボの存在。特ダネを取るには、情報が集まる当局(捜査機関、役所、政府、与党など)の幹部に『食い込む』ことが絶対に必要だ。だからあの手この手でお偉方に食い込め!」

 この価値観に従えば、最もガードが堅いとされる検察組織の最高幹部とマージャンする関係を築いていた記者は、飛び切りの「できる記者」だ(実際、ここまで食い込むには並の努力では無理)。こんな「食い込み至上主義」が現在も報道機関を覆っている》(同)

 面倒くさい議論を省き結論を言えば、私も<食い込み>は必要であろうと思う。が、問題は、<食い込み>によって得られた情報の活用方法である。

 おそらく当局幹部に<食い込>むには、今回の賭け麻雀のように、綺麗事では済まされぬ影の部分も少なくないのだろうと推察される。だとすれば、得られた情報をそのまま公表すべきではない。証拠の収集手続が違法であったとき、公判手続上の事実認定においてその証拠能力が否定される「排除法則」と同じ考え方である。

 が、だからと言って「触らぬ神に祟りなし」として権力から距離を置いて傍観するようでは報道機関の名が廃(すた)るというものであろう。

《食い込んだ記者はしばしば取材対象やその組織の論理にからめ捕られる。情が移ることもあって、相手を批判する距離感を見失いがちだ。

 「取材対象の問題点を暴かないのなら、何のための食い込みか」「食い込んだようで情報操作に利用されているのではないか」などの指摘は、今回のマージャン問題に登場した「できる記者」にも当てはまる》(同)

 「木乃伊(ミイラ)取りが木乃伊にな」ってはならないわけであるが、ミイラになることを恐れていては、「権力の犬」にしか成り得ない。

《もう一つ考えておきたいのは「食い込み」によって得られる「当局密着型特ダネ」の質の問題である。

 実は当局の幹部に食い込んで取ってきた特ダネの大半は「他のメディアより半日早い」特ダネなのである。明日の午後に当局が発表する内容を先んじて明日の朝刊で報じる、というようなことだ。紙面づらは見栄えが良く社内の評価も高いが、読者や視聴者が「半日早い」をどれほど求めているかは疑問である》(同)

 確かに<特ダネの大半は「他のメディアより半日早い」特ダネ>でしかないのかもしれない。が、当局幹部に食い込まなければ出て来ない情報もある。これを煮るなと焼くなとし、権力に「蜂の一刺し」を加える。それが「社会の木鐸(ぼくたく)」としての使命なのではないのか。