保守論客の独り言

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緊急事態条項は憲法に必要か(6) ~国家総動員法は軍部独走ではない~

《しかし、国権が最優先され、個人の権利が著しく抑えられた過去があることを忘れてはならない。1938年に制定された国家総動員法だ。「私権」を制限する法制度の下で国家統制が敷かれ、国民の徴用などを国家が自由にできるようになった。行き着いた先は戦争だ。国民主権基本的人権の尊重、平和主義を基調とする憲法は、その反省の上に作られた》(5月3日付琉球新報社説)

 東京裁判史観に呪縛されたまま判断を下すのは危険である。日本国憲法は、日本人が戦争の反省の上に作ったものではなく、GHQが日本占領中、国際法違反にもかかわらず、被占領国日本を骨抜きにするために押し付けたものである。『降伏後における米国の初期対日方針』にも「日本国が再び米国の脅威となり又は世界の平和及び安全の脅威とならざることを確実にすること」と明記されている。

 <国家総動員法>にしても「軍部独走」によるものではない。

《世界的不況のいまこそ国が経済を統制して私有財産を制限し、貧富の差をなくすべきだと彼らは考えた。もはや政治家にまかせてはおけない、軍部が“天皇の軍隊”と言うのなら、東京帝国大学法学部卒業のエリートである自分たちも天皇に直結して、政治家から独立して行動できる、というのが彼らの理屈であった。

こうして登場したのが、“天皇の官僚”を自称する「新官僚」であった。統制派が完全掌握した陸軍とともに、彼らは「革新官僚」として経済統制を推し進め、ナチスばりの全体主義国家をつくろうとしはじめた。それを象徴するのが、2・26事件の翌年、昭和12年10月25日に創設された企画院である。

 これはシナ事変勃発に対応するため、戦時統制経済のあらゆる基本計画を一手に作り上げるという目的で作られたものである。言ってみれば「経済版の参謀本部」で、その権限はあらゆる経済分野をカバーする強大なものとなった。

 その企画院によって生み出されたのが、国家総動員体制であった。日本に存在するすべての資源と人間を、国家の命令一つで自由に動かせるということであり、まさに統制経済が行き着くところまで行ったという観がある。この体制では釘一本、人一人を動かすのでも、政府の命令、つまり官僚が作った文書が必要なのである。

昭和13年に制定された「国家総動員法」によって自由主義経済は封じられ、日本は完全な右翼社会主義の国家となった。もはや議会にそれを止める力はなかった。大正デモクラシーが育てた政党政治はもろくも崩れ去ったのである》(渡部昇一『読む年表 日本の歴史』(WAC)、pp. 238-239)【続】