保守論客の独り言

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緊急事態条項は憲法に必要か(2) ~自縄自縛の立憲主義~

国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という憲法の理念は、国民に定着し、日本の発展に大きく寄与した。

 一方、一度も改正されていない憲法は、急速に変化する日本や国際社会に対応しきれていない。憲法を不断に見直し、適切に機能させることが求められる》(5月3日付読売新聞社説)

 これがおそらく今の日本人の平均的な考え方のように思われる。否、そう思い込まされてきたのだ。

 日本国憲法のお陰で、戦後日本は大いに発展することが出来た。何といじらしい「負け犬根性」であろうか。

 <平和主義>とは、日本が二度と米国に歯向かわないようにするための武装解除に過ぎない。本来独立国が有する戦う権利の放棄である。朝鮮戦争勃発で日本は自衛隊保有することとなり、自衛権だけは全面的ではなくとも部分的に回復することが出来たので「日本弱体化」という元々のGHQの方針が薄れてしまい見えなくなってしまっただけである。

 <国民主権><人権>という言葉は、「フランス革命」を思い起こさせる、まさに「革命」の布石である。自分たちに「最高権力」があり、国家を転覆させる「権利」があるという妄想である。この妄想がどれだけ人を殺(あや)めてきたことか。幸いにも歴史伝統の厚い日本に「革命」は起きなかった。

 まず憲法を制定し、これに基づいて国家運営をはかる歴史の浅い国の「設計主義」を、悠久の歴史を有(も)つ日本に導入することにそもそもの無理がある。実際、歴史有る英国は成文憲法を持っていない。日本は英国こそを模範とすべきではないのか。

 問われるべきは、戦前までの歴史や文化を捨て、日本国憲法を基にこのまま新たな国造りを行おうとするのか、それとも、戦前を否定する戦後の価値観を一掃し、日本の歴史や伝統を呼び戻すのかということである。前者であれば「成文憲法」が必要だし、後者であれば「不文憲法」を採用すべきである。

憲法が危機管理規定を欠くのは、政治の不作為と言わざるを得ない。

 自民党は2018年にまとめた4項目の憲法改正案で、緊急事態条項の創設を提案した。異常かつ大規模な災害で、国会を開けない場合、政府が法律と同じ効力を持つ政令を制定できる内容だ。

 緊急事態には迅速で適切な対応が求められる。憲法に基本原則を規定したうえで、法律で政府権限の内容や手続き、歯止めなどをあらかじめ明記しておくのは、法治国家として当然だろう。

 超法規的な措置で、人権侵害や行き過ぎた私権制限が起きるのを防ぐためにも重要ではないか》(同)

 まさに「立憲主義」である。が、私はどうしてもこの「立憲主義」が好きになれない。

 「立憲主義」が権力の暴走に予(あらかじ)め歯止めを掛けておこうとすればするほど、自縄自縛となって身動きがとれなくなってしまいかねないからである。【続】