保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

後藤新平の「政治倫理化運動」について(3) ~小廉曲謹(しょうれんきょくきん)~

《日本現代の思想的傾向は如何相なつて居るのであるか。只目前の小利害にのみ齷齪(あくせく)して、こんな空氣の全國に瀰漫(びまん)する結果として、國民の腦裡は知らず識らず小乘主義の人生觀を以て滿たされておらないでありませうか。

而(しか)して之が爲めに公亊をあやまらんとするに到ることはないであらうか。或(あるひ)は小廉曲謹を以て道德の眞諦となして、其甚しきものは物貭萬能主義を以て最も進步したる思想なりと誤解する風がないでありませうか》(後藤新平『政治の倫理化』(大日本雄弁会)、p. 31)

 ここに言う<小乗主義>とは「利己主義」「勝手主義」ということであろう。しばしば<小乗>を「自分勝手」の意味で用いる人がいるがこれは誤りである。

《仏教に大乗・小乗の論がある。多く大小の言に惑わされて大乗を推し小乗を蔑視するが、しかし小乗無き大乗はなく、大乗無き小乗もない。あくまで内に統一をもった対照であり、決して対立・排斥すべきものではない》(安岡正篤『照心語録』(関西師友協会)、p. 48)

《小乗は確かに釈導を神聖化し、出家道を旨とし、涅槃(ねはん)を灰身滅智(けしんめっち)に求める。大乗の自覚覚他の自由な精神に比して、より形式主義的であり、偏すれば偶像崇拝に陥る。しかし、大乗の説く如く、真に仏を自己に内在せしめようとするならば、釈尊を信仰し、彼に自己を没入せずには出来るものでない。これが矛盾すれば、大乗と称するものは空論にすぎぬ。敬虔(けいけん)に小乗を理解し、これに学んでこそ大乗にも到り得る》(同)

 <涅槃>とは「永遠の平和,最高の喜び,安楽の世界」であり、<灰身滅智>とは「身を灰にし智を滅する」、すなわち「身心ともまったくの無に帰する」ことである。

 さて、<小廉曲謹>とは「人から誉められたいばかりに、どうでもいいようなつまらぬことを一所懸命行うこと」の謂(いい)である。

《過(あやまち)は心に由って造り、また心に由つて改む。毒樹を斬るが如く、直ちにその根を絶つべし。奚(なん)ぞ必ずしも枝々にして伐り葉々にして摘まんや。―(明)袁了凡

 誠にそうでなければ小廉曲謹(しょうれんきょくきん)になってしまって、気宇が小さくなる。日本の国民も、こせこせ敗戦の原因を唯物的にほじくっていても助かるまい。誰か、特に政治家に、日本人の気持ちを転換させて、大きな光明を見出させるような大理想家が出ないものか。暴露の競争、責任のなすりあいではどうにもならぬ》(安岡正篤『百朝集』(福村出版)、p. 39)【続】