保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

川崎ヘイト条例について(1) ~平衡を欠く「厳罰主義」~

《差別や排除をあおるヘイトスピーチ刑事罰を科す全国初の条例が、川崎市議会で全会一致で可決・成立した。

 16年にヘイト対策法が施行され、極端に過激な言葉を使うデモの件数は減った。一方で、手口が巧妙・陰湿化した、一部で揺り戻しがあるといった声も強く、罰則規定のない法の限界が指摘されていた。

 そんななか、在日コリアンが多く住み、そこでの反ヘイトの取り組みが3年前の対策法制定の原動力にもなった川崎市で、根絶に向けた新たな一歩が踏み出された意義は大きい》(1213日付朝日新聞社説)

 「反ヘイト条例」が出来たからヘイト<根絶>に向けて<新たな一歩が踏み出された>などと言うのは平衡を欠く「厳罰主義」であろう。

《本来は差別の意識そのものをなくしていくことが一番の対策だ》(1213日付東京新聞社説)

 第一は差別を巡る衝突を鎮めることであるが、これを厳罰主義よろしく「条例」で、しかも一方の側だけを抑え込むというのはさすがに頂けない。事情に詳しくはないので確定的には言えないが、ごく一般的に言って、日本人による在日外国人へのヘイトだけではなく、在日外国人による日本人へのヘイトも問題とされるべきであろうと思われる。否、ヘイトを人種差別だけの問題に限定して問題視するのではなく、日本人による日本人に対するヘイトも同等に問題である。

外国人労働者の受け入れ拡大も始まっている。差別の扇動が横行すれば、共生社会の土台は築けない。教育など根元の部分に加えて、違いを認め合うことのできる社会の実現に向けた努力を粘り強く続けることが、私たち一人一人に求められている》(同)

 私は安易な<外国人労働者の受け入れ拡大>には反対の立場であり、わざわざ日本社会に混乱の因を招き入れる必要はないと思っている。が、<共生>ということで言えば、今回の<条例>は<共生>社会を広げることには繋がらないだろう。ヘイト感情を<条例>で抑え込んだ<共生>など矛盾でしかない。

 ヘイト問題が大きな問題であるなら、それを熟議によって地道に解き解していくべきなのであって、それをえいやあと<条例>など制定して抑え込もうとするのは議会の存在意義を貶(おとし)めるものではないのか。

《条例によると、公共の場所で拡声機やプラカードなどを使った差別的言動が刑事罰の対象となる。市長は有識者でつくる審査会の意見を聞いたうえで、勧告、命令を順に出し、それでも繰り返した者を刑事告発する。さらに検察と裁判所が相当と判断して初めて、最高で50万円の罰金が科される仕組みだ。

 ヘイト対策は必要だが、ゆき過ぎれば表現の自由を侵す。このため市は、6月に素案を公表し、市民や専門家の意見を踏まえて修正を施し、最後は議会の審議にゆだねた。内容、手続きとも均衡のとれたものになったと、まずは評価できる》(同、朝日社説)

 これが危うい条例であることは朝日に評価されているということからもうかがい知れるだろう。【続】