保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

閣僚の靖国神社参拝について(3) ~津地鎮祭最高裁判決~

地鎮祭判決は次のようなものであった。

最高裁8名の裁判官の多数意見)は、政教分離原則をゆるやかに解しつつ、目的・効果基準を用い、憲法203項により禁止される「宗教的活動」とは、宗教とのかかわり合いがわが国の社会的・文化的諸条件に照らし信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、「相当とされる限度を超えるもの」、

すなわち、その「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」に限られる(アメリ判例のいう「過度のかかわり合い」の基準は明示されず、3要件の個別的検討の手法もとられていない)とし、

しかも、その判断は「主宰者、式次第など外面的形式にとらわれず、行為の場所、一般人の宗教的評価、行為者の意図・日的及び宗教意識、一般人への影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的になされねばならない」旨説き、

神式地鎮祭は、その目的は世俗的で、効果も神道を援助、助長したり、他の宗教に圧迫、干渉を加えるものでないから、宗教的行事とは言えず、政教分離原則に反しないとした》芦部信喜憲法4版』(岩波書店高橋和之補訂、P. 154

 これを踏まえ、自民党政務調査会・内閣部会・靖国神社問題に関する小委員会が憲法学者芦部信喜佐藤功などの学識経験者の意見を徴(ちょう)し、

「公的機関が、慰霊、表敬、慶祝等を行うことが適当であると考えられる場合に、その目的で神社・寺院等を訪れて礼拝等を行い、同時にまた宗教行事に参加して弔意を述べ、功績をたたえ、祝意を表する等のことは、憲法が禁止する宗教的活動には当らないと考えられる」

靖国神社は国家のために生命を捧げた全国の戦没者をまつるところである。戦没者の遺族のみならず、多くの国民がこゝを訪れる。それはもっぱら、戦没者が国家のために貴い生命を捧げたという事実に対し、感謝の敬意を表わし、みたまを慰め、訪れる者の決意を表明するなどの意図に出るものである。 国を代表する内閣総理大臣が時に靖国神社を訪れるのは当然の関係である」

等と結論したのは穏当と言える。

 そもそも靖国神社参拝とは国に殉じた英霊を祀る「祭祀」であり、これを殊更(ことさら)宗教活動として排除するのは日本の慣習・習俗に反すると言わざるを得ない。先人の慰霊という日本人としてごく当たり前の行為を特別な思想で封じ込めようとする政治圧力の方がむしろ問題なのではないだろうか。【続】