《紛争が絶えない中東地域の実情を知るほど、平和の尊さを再認識する。一方、地域の不安定化はガソリンや灯油の価格に直結する。
世界のどこかで起きていることが私たちの日常生活に影響する》(10月17日付北海道新聞社説)
別に<平和の尊さ>を中東情勢から学ぶ必要はないし、実際、多くの日本人が中東問題には疎(うと)いに違いない。それどころか、中東情勢を伝える新聞自体がどれほど中東情勢に精通しているのであろうか。
中東で揉め事が有れば石油価格が上がるなどというのは中学生程度の話でしかない。石油価格は中東情勢にだけ左右されているわけではない。
そもそも中東情勢はただ中東諸国間の揉め事ではない。イギリスの三枚舌外交がアラブ世界を攪乱(かくらん)した。米国とイランの問題もあれば、シリアへの米露の介入もある。言い出したらきりがない。そんな中東の実情をどこまで北海道新聞は取材し報じているのか。
《豪雨や暴風災害の原因とも指摘される気候変動への対策や、国連が掲げる持続可能な開発計画(SDGs)など、地球規模の課題にも取り組まなくてはならない。
こうした問題を理解するために、取材網を広げ、最新の動向や論点を伝えることが重要だ》(同)
温室効果ガスによる地球温暖化は現段階では「仮説」に過ぎない。現時点で豪雨や防風災害を増加させるほどの急激な気温上昇があるわけでもない。豪雨や防風災害が増加しているというのなら気温上昇以外の別の理由付けが必要である。
取材網を広げなくてよいから、「温暖化仮説」がどこまで信用できるものか、温暖化とは真逆に寒冷化を予測している宇宙物理学との論点整理をしっかり行ってもらえないものか。
《知られざる世界は、身の回りにも点在している。社会の高齢化と少子化が進む中で、介護や子育てに人知れず悩む人も多いだろう。
家庭内の暴力や虐待が近所で起きているかもしれない。生きづらさを感じている人の危機感を伝えるのも私たちの役目と言える》(同)
中東云々(うんぬん)といった分かったような分からないような話をするよりも、むしろこういった身近な問題こそ地方紙はしっかり取り組むべきであろう。
《新聞は「社会の木鐸(ぼくたく)」といわれる。鐸とは大きな鈴を意味する。
世の中に警鐘を鳴らし、社会をより良い方向に導くとの自負を込めた言い方だろうか。
いささか古くさく、上から目線だと感じる方もおられよう。
新聞にとって、難しい時代である。真面目に鐘をたたいているつもりでも、世の中や読者に響きにくくなったと感じることがある》(10月16日付京都新聞社説)
私も同じ感覚である。テレビそしてSNSの登場で新聞の存在意義が問われている。
《ネットを通じ、誰でも情報や言論の発信者になれる昨今である。中には特定の国や個人を安易に攻撃する内容もみられる。
発信者の意見や思いが、むきだしのまま拡散する危うい現状が、世の中の空気を不寛容でとげとげしくさせているようにも思える。
こんな時代だからこそ、新聞記事が多くの記者やデスクの目を通り、多様な議論をふまえて作られていることを知ってほしい》(同)
本来多くの人の目を通ることで情報はより確かなものになるはずであるが、逆に多くの人が介在することで情報がより歪められるということが起こり得る。実際、森友・加計問題では、事実よりも政権批判のネタとされることが多かったように思われる。さらに、都合の悪い情報は伝えないという疑念も拭えない。
新聞に必要なのは「信用」ではないか。どことは言わぬが、形(なり)振り構わず「信用」を自ら毀損しているような大新聞があるのはまさに新聞業界全体にとっての自殺行為ではないか。【了】