保守論客の独り言

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「元徴用工」問題を語る平野啓一郎氏への疑問(1) ~自分の考えに都合の良い共感~

芥川賞作家である平野啓一郎氏が「一人の人間として思うこと」と題して「元徴用工」問題について語っている。

新日鉄住金(現日本製鉄)元徴用工訴訟に対する韓国大法院(最高裁)判決以降、メディアは「嫌韓」を煽(あお)りに煽ったが、一旦(いったん)、相手が悪いとなると、ここまで品性をかなぐり捨てるのかと、私は不気味なものを感じた》(西日本新聞2019/9/30 11:00

 果たしてメディアは<「嫌韓」を煽りに煽った>のだろうか。成程<嫌韓>を前面に出した週刊誌などもあっただろうが、大半は韓国側の問題点を客観的に指摘するものではなかったか。極端な<嫌韓>論だけを取り出して<不気味>なものを感じるという平野氏に私は不気味なものを感じる。

《判決文によると、「原告2」の男性は1943年に「大阪製鉄所で2年間訓練を受ければ技術を習得でき、訓練終了後には韓半島の製鉄所で技術者として就職できる」という募集広告で労役に就くも、技術習得とは無関係の危険で過酷な作業を強いられ、暴力的な管理下に置かれた。更(さら)に44年には「現員徴用」により賃金さえ支払われなくなった》(同)

 ということは、彼らは<徴用工>ではなく<募集工>であったということである。この時点で嘘がある。そんな彼らが証言する内容はどれほど精査されたのか。本当に<技術習得とは無関係の危険で過酷な作業を強いられ、暴力的な管理下に置かれた>のか。それは一方的な自分勝手な主張ではないのかという疑いが拭えない。

《この「技術習得」という嘘(うそ)による酷使は、今日の技能実習生問題と生々しく重なる。私は、たった17歳で騙され、家族と離れ、命の危険に曝(さら)されながら重労働を課された少年の姿を痛ましく想像した》(同)

 想像するのは平野氏の勝手である。問われるのは「事実」である。相手の言うことをただ真に受けて<痛ましく>思っても仕方がない。

《私たちは、国家の利害の代弁者となる以前に、一人の人間として、他者に対し、多様な共感を抱き得るはずである》(同)

 こういう言い回しが曲者(くせもの)である。ほとんどの人は政治家ではないから<国家の利害の代弁者>とは成り得ない。<徴用工>問題は<一人の人間として>ただ共感できないだけである。<元徴用工>の人たちに味方したい人だけが<多様な共感を抱き得る>だけなのではないか。

《彼らは、日韓請求権協定を通じてもたらされた「三億ドルに等しい円の価値を有する日本国の生産物及(およ)び日本人の役務」によっては、補償も賠償も受けることがなかった。そういう彼らが晩年に至って、自分の人生は贖(あがな)われてはいない、と訴訟を起こす心境は、理解できないだろうか》(同)

 これは話がすり替わっている。個人の訴訟はあってよい。が、それは韓国国内の問題として処理するというのが日韓請求権協定における約束である。その国際的約束を破って日本企業に賠償を請求する判決を韓国最高裁が出したのがおかしいのである。【続】