《文化庁が、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」に対し、予定していた補助金約7800万円を交付しないことを決めた》(9月27日付毎日新聞社説)
この決定に左寄りの人たちは不満をぶちまける。
《表現行為や芸術活動への理解を欠く誤った決定である。社会全体に萎縮効果を及ぼし、国際的にも日本の文化行政に対する不信と軽蔑を招きかねない》(9月27日付朝日新聞社説)
《「退廃芸術」を排除しようとしたナチス・ドイツを持ち出すまでもなく、政治が芸術に介入するのは危険極まる。政策の基本的な計画で「文化芸術の『多様な価値』を活(い)かして、未来をつくる」とうたう文化庁が、多様な価値観を持つ芸術家の表現活動を圧迫し、萎縮させる結果になるのではないか》(9月28日付東京新聞)
《芸術祭の数ある企画のうち、一つの企画を理由に全額不交付とするのはあまりに乱暴だ。
いったん補助事業に採択しながら開幕後に不交付にするのは極めて異例であり、事後的な「検閲」とみられても仕方がない。
文化芸術活動の萎縮を懸念する声が上がるのは当然だ》(9月28日付北海道新聞社説)
が、昭和天皇の御真影を燃やし踏み付けたり、特攻隊員の寄せ書きを被せたオブジェに『間抜けな日本人の墓』などと表記するのは、明らかに公序良俗に反するものであり、公金が補助されるべきようなものではない。
《「政府の意に沿わない事業には金を出さない」と内外に宣明したに等しい。
少女像などに不快な思いを抱く人がいるのは否定しない。しかしだからといって、こういう形で公権力が表現活動の抑圧にまわることは許されない》(同、朝日社説)
「表現の自由」というのなら自主的に運営すればよいのであって、公的資金を貰った上で公序良俗を破壊しようとするのは厚かましいにもほどがある。
《いったん事業を採択して助成を決めたにもかかわらず、開幕後に手続きの問題を理由にして不交付にするというやり方は、展示内容に対する今の政権の不快感を表していると取られても仕方ない。
実際、開幕直後、菅義偉官房長官は、文化庁の補助金交付の是非について検討する考えを示していた。
結果的に今回の措置は、自分たちと意見を異にする言論や表現を暴力的な脅しで排除しようとする行為を、後押しすることにつながる。
さらに、そういった風潮が社会に広がっていくことにも強い危機感を覚える》(同、毎日社説)
話を現政権に矮小化してはならない。表現の自由と称して昭和天皇の御真影を燃やすことを容認する日本人が一体どれだけいるというのであろうか。【続】