保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

天皇の靖国神社不参拝について

靖国神社が昨秋、当時の天皇陛下(現上皇さま)に「行幸(ぎょうこう)請願」をしたが断られていた。1978年のA級戦犯合祀(ごうし)が天皇の不参拝の契機だとされる。その姿勢はもはや明白で決定的ともいえる》(817日付東京新聞社説)

 気持ちは分からないでもないが、靖国神社が陛下に行幸を打診するとはやはり失礼な話だと言わざるを得ない。陛下が御参拝出来ないのは「A級戦犯」合祀を巡る政治問題が解決していないからである。

 東京裁判という名の戦勝国の「復讐劇」で「A級戦犯」に問われた人たちは「戦犯」でないことは、日本が主権を回復した後、国会で決議されている。だから東条英機をはじめとする戦争指導者たちを最早「A級戦犯」と称するのは間違っている。

 にもかかわらず、左寄りの人たちは「A級戦犯」という言葉を使いたがる。「A級戦犯」たちが軍国主義よろしく日本を焼け野原に導いたという歴史観である。

 が、日米決戦が不可避となった最後通称「ハルノート」を書いたハリー・デクスター・ホワイトはソ連のスパイであったことが米国で公開が進んでいる「ヴェノナ文書」から明らかになっている。ソ連スターリンは日米を衝突させるべく画策していたのである。

 国力差があまりにも大き過ぎる米国と戦争したいわけがない。日本は戦争に追い込まれた。このことが分からないから判断が狂ってしまうのである。

《故富田朝彦(とみたともひこ)元宮内庁長官が記したメモが2006年に公になり…昭和天皇が合祀に触れ「松平は平和に強い考(え)があったと思うのに、親の心子知らずと思っている」と漏らし「あれ以来参拝していない。それが私の心だ」と不快感を示した》(同)

 陛下の私的な会話がこのように公になるのは遺憾であるが、天皇は優れて公なる御存在であられるのであるから、陛下の私心を忖度しても始まらない。

《平成は天皇参拝のない初の時代となった。戦死者を国家が英霊と祀(まつ)り、国民を総動員して戦争遂行した歴史を踏まえれば、当然の帰結であろう》(同)

 どうして<当然の帰結>なのか私には分からない。むしろ<戦死者を国家が英霊と祀(まつ)り、国民を総動員して戦争遂行した歴史を踏まえれば>こそ天皇靖国参拝を行うべきとも言えるのではないか。

憲法政教分離や信教の自由などを定める。その厳格な保障のため、国家は特定の宗教と絶対的に結び付いてはいけない。天皇国家神道との関係を再現するかのような目論見(もくろみ)は、いわば究極の時代錯誤でもある》(同)

 英霊を祀る靖国神社は<特定の宗教>などではない。政教分離は絶対的なものではない。余りにも厳格な政教分離の考え方こそ改めるべきものである。

戦没者の慰霊には、現行の追悼式など無宗教の形式がふさわしい》(同)

 <無宗教>は「最悪の宗教」でしかない。日本には日本的な「祀り」があってしかりで、それが国家神道であっても何の問題もない。