保守論客の独り言

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戦前の汚名を雪(すす)げ(2) ~戦勝国の犬~

安倍戦後70年談話を出すに先立ち意見を求めた有識者懇談会の報告書は次のように記す。

「日本は満州事変以後、大陸への侵略を拡大し、第1次世界大戦後の民族自決、戦争違法化、民主化、経済的発展主義という流れから逸脱して世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」》(8月14日付日本経済新聞社説)

 シナ事変を大陸侵略であったというのは「東京裁判史観」そのものであるが、こんな戦勝国に抑えつけられた歴史観を戦後70年も経って持ち続ける<有識者>とはいかなる人たちなのであろうか。

 否、このような歴史観を否定してきたのが安倍首相のはずであり、だからこそ、「村山談話」「河野談話」を上書きし書き換えるために「安倍談話」を発しようとしたはずなのに、結局は「村山談話」「河野談話」を踏襲することとなってしまった。

 歴史解釈を時の政治家が「日和見主義」的に固定化することは決して許されることではないと思われるが、安倍首相にしてこのことが分かられなかったことは残念である。

 <無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた>などと言うのも噴飯物で、このような解釈をしている国はシナか朝鮮しかない。当時アジアは欧米帝国主義国の植民地下にあり、日本が戦ったのはこの欧米諸国であってアジアではない。日本が戦った結果、アジア諸国は次々と独立を勝ち取った。大東亜戦争はアジアを欧米帝国主義の植民地支配から解放する戦いという側面があったことはもっと強調されてもよい。

帝国主義の時代の覇権争いはやむを得ない。しかし、戦争は悪であると合意した1928年の不戦条約を日本が守らずに中国への武力進出を始めたことには重大な責任がある、という歴史観だ。安倍首相はこれを受け入れ、談話をまとめた》(同)

 日本は覇権争いをやったのではない。ソ連の南下侵略を満洲で押し返し、北清事変後の駐留軍がシナ共産党の謀略でシナ国民党軍と泥沼の戦いに陥ってしまったのがシナ事変、ABCD包囲網で締め上げられ必要物資を求めてアジアに進出したのが大東亜戦争であった。

 <戦争は悪であると合意した1928年の不戦条約>という話も嘘である。パリ不戦条約は戦争を放棄した条約であるが、「侵略」の定義は各国に委ねられるとしたため、有名無実の条約であった。

 勿論<戦争は悪である>などという善悪の判断などしてはいない。この理屈からすれば、例えば、自衛戦争も戦争である限り「悪」ということになるが、侵略国の攻撃を迎撃することが「悪」だなどと言ってどういう意味があるのだろうか。

東条英機元首相らを裁いた東京裁判の進め方が妥当だったかどうかはさまざまな見方がある。とはいえ、戦後70年談話に至る経緯を踏まえれば、靖国神社が当時の戦争指導者を合祀(ごうし)したことには違和感がある》(同)

 今時<東京裁判の進め方が妥当だった>などと言っている人物などいるのか寡聞にして知らない。今更東京裁判を否定してもはじまらないという意見はあるかもしれないが、進め方が妥当だなどとどこの誰が言っているのであろうか。

 社説子は戦争指導者の合祀に違和感があると言っている。ということは、戦争指導者たちだけに先の戦争の責任を負わせようということなのか。が、自分から行け行けどんどんと大陸へ進出していったというのならともかく、戦争に引きずり込まれたというのであれば、敗戦責任はあるにせよ、戦争責任まで負わせるのは酷だというのが大方の国民の見方なのではないか。【了】