保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

戦前の汚名を雪(すす)げ(1) ~春秋に義戦なし~

《「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」

日本国憲法の前文にあるこのくだりを文字通りに受け止めた非武装中立論は、戦後日本で長く一定の賛意を得てきた。日米同盟を「わが国を戦争に巻き込むもの」と批判する声が決して小さくなかったことは、1960年の安保闘争からもうかがえる》(8月14日付日本経済新聞社説)

 今更ではあるが、<平和を愛する諸国民>ってどこの国を指すのであろう。米国でもなければソ連でもない。そんな実態のない国の<公正と信義>など信頼することなど出来るはずがない。もし<非武装中立論>が日本国憲法前文のこの件(くだり)を文字通りに受け止めたのだとすれば、<非武装中立論>は虚妄でしかなかったということである。

 社説子はこの虚妄な<非武装中立論>が<戦後日本で長く一定の賛意を得てきた>と言う。が、それは<賛意>などというものではなかった。日本で<非武装中立論>が支持されてきたのは、1つは日本に共産主義革命を起こすために都合が良かったからである。もう1つは、「吉田ドクトリン」よろしく軍備よりも経済発展を優先したことによる。

《冷戦が終わり、国際秩序が大きく揺らいでいる現在、こうした理想論的な考えへの支持はかなり少数になった。海図なきパワーゲームをどう生き抜いていくのか。日本人が安全保障を現実的に見始めたことは歓迎すべきだ。

ただ、振り子が振れすぎて、戦前日本を正当化するかのような論調も目にするようになったことには留意したい》(同)

 前文の件は決して<理想論>ではない。ただの<虚妄>である。自衛隊を保持する日本が<非武装>であるはずがないし、米国と同盟関係にある日本が<中立>であるはずもない。

 <戦前日本を正当化するかのような論調>が何を指すのかが判然としないが、大東亜・太平洋戦争が日本の侵略戦争だったなどという嘘をいまだ信じているということなのだろうか。戦前の日本は正しかったとまで言う必要はないが、戦前の日本を悪のように言うのもまた間違っている。日本は真っ当に生きようとした。その中で戦争に巻き込まれてしまった、ということでしかない。

安倍晋三首相は4年前、戦後70年談話を出すに先立ち、有識者懇談会に意見を求めた。当時の自民党内には「日露戦争はよくて、日中戦争は悪いのか」「日本統治のおかげで朝鮮半島は近代化した」などの声があった。

 日露戦争までは良かった、と言ったのは司馬遼太郎氏で、これを俗に「司馬史観」というが、「司馬史観」の持ち主は自民党にも少なくないのだろうと思われる。が、「春秋に義戦なし」(孟子)というように、この戦争は良かった、この戦争は悪かったなどというのは詮無きことである。【続】