保守論客の独り言

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田島宮内庁長官「拝謁記」の天皇(1) ~天皇の私を開陳する越権~

終戦後の昭和24年から28年にかけて、昭和天皇田島道治(みちじ)初代宮内庁長官が交わしていたやり取りの詳細な記録が明らかになった。

 田島長官が18冊の手帳やノートに個人的に書き残していた「拝謁(はいえつ)記」である。拝謁は600回以上にもわたる。

 先の大戦などを経て、戦後の連合国による占領を体験されていた当時の、昭和天皇の「肉声」だ。激動の時代の一級史料といえる》(826日付産經新聞主張)

 宮内庁長官の非公式なメモがどうして<一級史料>と言えるのか。戦後日本にあって、天皇がいかなる存在かが分かられていないからこのようなおかしな話になるのであろう。

 そもそもこのメモは将来公開することを前提として書かれたものではないだろう。だとすれば公開するのは明らかな越権行為である。天皇とは優れて「公的な存在」であろうが、その公的な存在の私的な部分を抉(えぐ)り出すのは極めて礼を失した行為である。

 天皇は祭祀王である。そして聖と俗の2つの世界の境界線に位置する「境界人」である。俗世の、それまた私的な部分だけを取り出して「天皇のお考え」とするのはやはり間違っている。

《27年5月の日本の主権回復を祝う式典でのお言葉をめぐって、昭和天皇先の大戦について「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」(同年1月11日)など、悔恨の念を盛り込みたい意向を示された。だが、当時の吉田茂首相らの反対で草案から削られた経緯が分かった》(同)

 天皇が公にされる言葉は極めて重みがあり、「反省」という言葉を盛り込むかどうかで慎重の上にも慎重になるのは当然のことである。かの戦争を日本自ら総括することもなく、何に対する「反省」なのか判然とせぬまま「反省」という言葉だけがただ独り歩きするのがよくないのは言うまでもない。

昭和天皇は、領土の一部を失ったことや、戦死傷者や日本への未帰還者など戦争の犠牲者のことを思われ、主権回復について「少シモ喜ブベキデナイ」(26年7月26日)と、複雑な心境も語られていた。日本や国民を第一に思われるお人柄が改めて分かる》(同)

 天皇の<人柄>というのもしっくりこない。日本国憲法に言うように天皇は「国民統合の象徴」という特別な存在であり、一般人と同じ「人」ではない。否、むしろ「国柄」を体現した特別な存在が天皇なのであって、天皇の<人柄>がどうのこうのといった些末なことに目を奪われるべきではない。【続】