保守論客の独り言

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戦後日本を強化する憲法改正論について(3) ~「東京裁判史観」を見直せ~

憲法は国家の基本原則を定めたものだ。国家としての連続性を保証するものでもある。時代を超えて、変えてはならないものがある》(7月7日付毎日新聞社説)

 だったらどうして敗戦後、大日本帝国憲法は継承されなかったのか。実際、日本側は継承しようとしたが、マッカーサーがこれを了承しなかったのである。マッカーサーなら時代を超えて、変えてもよいというのでは余りにも負け犬根性ではないか。

《現在の憲法は、敗戦が出発点になっている。戦前、日本は軍国主義の道をひた走った。国民から自由を奪い、思想を統制し、戦争で多大な犠牲を強いた。そんな社会には二度と戻らないという決意を、国民は憲法によって共有した。

 その際に取り入れたのは、国民主権基本的人権の尊重といった普遍的価値である。同時に、天皇を国民統合の象徴とし、平和主義の国として、日本は再出発した》(同)

 この歴史観は、戦勝国が押し付けた「東京裁判史観」をなぞるものである。<戦前、日本は軍国主義の道をひた走った>などというのがあまりにも一方的な言い分であることは戦後明らかになったことからも知れるところである。

 太平洋戦争は日本が突き進んでいったのではない。スターリン共産主義コミンテルンを用いて日本と米英を戦わせるよう仕組んだ罠だった。

 米国において、なぜ太平洋戦争が起ったのかに関する議論は次のように推移している。

《最初は、①「日本軍による卑劣なだまし討ち」、つまり「日本が悪かった」説でした。

 次に登場したのが、②「ルーズヴェルト民主党大統領が第二次世界大戦に参加するため、日本の機密暗号を傍受して日本軍の攻撃を知っていたのに、知らないふりをした」とする、「ルーズヴェルト大統領にも責任がある」説です。

 その後、日米戦争に至る経緯に関する歴史研究が進み、先に紹介したような③「日米両国はともに国益を追求した結果、戦争になった」説が登場します。

 ところが、アメリカの最新研究の世界では、④「ソ連スターリンが秘密工作員を使って日米和平交渉を妨害し、日米両国の対立を煽り、日米戦争へと誘導した」とする、「スターリン工作説」が唱えられるようになってきているのです》(江崎道朗『日本は誰と戦ったのか』(ワニブックス「PLUS」新書、pp. 45-46)

 毎日新聞社説子がいまだ①の段階にとどまっているのは、この認識を変えれば、これまでの言説のほとんどが無効になってしまうことを恐れているからではないか。本来なら日本の側が名誉回復のために米国同様の議論があってしかりだと思われるが、どういうわけか日本では「日本だけが悪かった」という考え方から脱却できない。これは日本を「東京裁判史観」に閉じ込めておこうとする何らかの「圧力」が存在するからではないか。【続】