安倍晋三首相は言う。
「憲法審査会はこの1年、衆院では2時間余り、参院では3分しか議論していない。おかしいじゃないか」(7月7日付毎日新聞社説)
この指摘はその通りである。護憲派が憲法改正議論を進めたくないがゆえに審査会を開かないというのは職務怠慢と言わざるを得ない。たとえ現行憲法を改正したくないのだとしても、それを堂々と主張するのが筋である。
本来なら、このような職務怠慢は議論することを旨とする国会議員としての資格を疑われるものであるが、国民の憲法改正に対する意識の低さもあって、問題視されてはいない。
が、だからと言って、国民の大半が憲法改正の必要性を肌身に感じるような状況になってから、つまり切羽詰まった状況下で憲法改正をするようなことは危険である。国民の憲法改正に対する意識の低さは、現行憲法の問題が煮詰まって国民に周知されていないことによるものであって、野党が議論に応じないことだけを問題にするのは優れて政治的であり、本気で改正しようとしているのか疑わしい。
《衣の下のよろいを隠さず、性急に結果を求める安倍首相の姿勢が、結果的に憲法論議の前進を阻んでいる側面は否定できないだろう。
憲法論議を進めようとするなら、そのための環境整備に心を砕くべきだ。政局の打算や思惑とは一線を画し、与野党が互いの意見にじっくりと耳を傾ける空気を地道に醸成することが必要になる》(同)
安倍首相の<衣の下のよろい>、つまり「本音」「本心」とはいかなるものなのだろうか。現行の憲法9条に自衛隊保持を追記しようとする理由は何か、それが見えない、否、見せないのが問題なのである。
政治、特に安全保障上の問題をすべて開陳するわけにはいかないのは山々だけれども、現存する自衛隊を保持することが憲法違反だと言われないように憲法に自衛隊保持を今すぐ明記しなければならない理由は何かということである。
このことが言われ出したのは米朝関係が悪化してからのことである。情勢に変化がなければ、これまで通りに自衛隊は自衛権を行使するための組織で、決して他国を攻めるような軍隊ではないという理屈で憲法に明記せず押し通すことも可能であっただろう。が、米朝がいざ衝突することとなれば、日本は米軍の支援を行うことが避けられず、したがって、自衛隊が自衛以上の活動を余儀なくされる可能性が高い。
その際、自衛隊が違憲存在であるなどいう問題が発生しては後々法の不備から自衛隊員にあらぬ嫌疑が掛けられることにもなりかねない。それを避けるためにあらかじめ自衛隊の保持を憲法に明記しておこうということなのだろうと思われる。
つまり、今ある憲法改正の話は、米国の軍事戦略からの要請によるものだと考えられるということである。(続)