保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

レジ袋の無料提供禁止について(1) ~環境良い子ちゃんの自己満足~

《国内のスーパーやコンビニなどで買い物客へのプラスチック製レジ袋の無料提供が法律で禁止される見通しとなった》(6月7日付産經新聞主張)

 さすが環境問題における意識高い系の国・日本である。私はプラスチック製レジ袋を有料にすることがどれほどプラスチックごみ削減に効果があるのかてんで分からないが、分かろうが分かるまいが、良いことは良いことなのだからやるべきだという例によって自分たちが良い人であるという気分に浸(ひた)るべく余計な規制がまた1つ増えることとなった。

《日常的に多用され、一回限りで用済みとなるレジ袋に対しては、資源節約の上からも利用を控えるべきだという声が、以前からあった。一理ある考えだ》(同)

 が、武田邦彦氏は、<一理ある>どころか次のように反論する。

《20世紀の初め、人間が石油をプラスチックやゴムなどとして使い始めたとき、ある成分はプラスチックなどとして使うことができずに燃やしていました。今から40年ほど前までは、日本に持ち込まれて製造される石油コンビナートの近くに行くと、煙突からモウモウと炎が上がって、夜空を焦がしているのを見た人がいると思いますし、今でも原油の産地では同じ景色を見ることができます。あれが「もともとは石油の中に入っているけれど、現代の産業ではあまり使い道がないので、燃やしているもの」だったのです。

 ところが、最近ではコンビナートの煙突からは水蒸気が上がっているだけで、煙や炎はほとんど見えません。それは石油の成分がとことん使用されるようになったからです。かつて用途がなかったか、または用途はあっても石油の中の成分の量と日本人が使う量がマッチしないので、仕方なく燃やしていたもの ― 多くの成分のうち、低い沸点の化合物など ― を、石油化学や高分子化学という方面の学問が進み、利用できるようになりました。

 たとえば、レジ袋やビールのケース、自動車のバンパーなどが私たちの身の回りでよく見られるもので、これらは、いわば石油の“廃品”を有効に使うようにしたのですから、環境には特によいものです》(『偽善エコロジー』(幻冬舎新書)、pp. 18-19)

《レジ袋の削減でプラごみ問題が改善されるわけではないことを知っておきたい。日本のプラスチック廃棄物全体に占めるレジ袋の割合はごくわずかだ。プラスチック製ストローも同様だ。

 そもそも、ポイ捨てをしなければ、レジ袋もストローも野山や海の美観を損ない、生態系を乱すプラごみにはなり得ない。

 レジ袋に負のレッテルを貼るだけの運動に終わってしまったら、ほとんど本末転倒だ》(産經、同)

 環境良い子ちゃんの運動などその程度のものである。本当に環境が改善されるかどうかなど関係がない。環境に良いとされることに積極的に関わることが大切なのである。【続】