保守論客の独り言

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陛下の敬語について

天皇、皇后両陛下をお迎えし、2日に愛知県尾張旭市で開かれた全国植樹祭。即位後初の地方行事で、天皇陛下は国民に敬語を使い、一緒に緑化活動を推進するよう呼びかけるなど国民目線のお言葉を述べられた。

 お言葉の冒頭、陛下は「皆さんとご一緒に植樹を行うことを喜ばしく思います」とあいさつされた》(読売新聞オンライン 6/2() 21:56配信)

 「皆さんと一緒に」ではなく「皆さんと御一緒に」と丁寧な言葉遣いをされたのは温厚なお人柄を象徴するものであろうけれども、やはり陛下が国民に敬語を用いられることには違和感を禁じ得ない。

天皇陛下が『皆さんとご一緒に』と国民に敬語を使われたことに驚いた。陛下はこうした丁寧な表現を皇太子時代から使われているが、天皇の言葉としては過去にはなかったのではないか。陛下は、国民の中に分け入るという考えを示されており、今回のお言葉も国民の目線に立つという意識の強さを感じさせた」(瀬畑源・成城大非常勤講師)

 私は陛下が国民に敬語を用いられることは権威を失墜させることにならないか大層心配である。天皇に必要なのは「権威」であり、権威に必要なのは毅然さである。

 陛下が国民に親(ちかし)い存在であることを何か麗(うるわ)しきことと見做す風潮が感じられるけれども、陛下が国民に近い存在となればなるほど権威は低まっていく。

 「権威なき天皇」。考えただけでも悍(おぞ)ましい限りであるが、そのような「天皇」とならないとも限らない。

 皇太子時代から丁寧表現としての敬語を使われていたとすれば、それは「帝王学」の失敗ということになるのではないだろうか。

 日本の天皇が極めて「特殊」「特別」な存在であることは論を俟たない。その存在基盤は万世一系の伝統にある。この伝統が守られねば天皇という存在は消えて無くなってしまう。

 この守るべき「仕来り」を統(す)べ伝えることこそが「帝王学」である。

 敗戦後、國體(こくたい)に変化が有るや無しやが議論されたことがあった。確かに日本国憲法に明記される形で天皇の存在は保持されることとなったが、天皇の「在り方」は必ずしも戦前を踏襲しようとするものではなかったと言って良いだろう。その一つが今回のような陛下の言葉遣いに表れている。

 伝統とは頑迷固陋な因襲ではない。時代と共に変わることを否定するものではない。が、天皇が権威的存在であることは、鎌倉時代以降の伝統の中心をなすものであり、これを変更することは天皇の存在自体を変更することになりかねない。否、天皇の存在の必要性を毀損(きそん)しかねない。

 私は憂慮に堪えないのである。