保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

投票に行かないことについて(2) ~「目に見える価値」を信奉する左翼進歩主義~

高山佳奈子・京都大教授は言う。

《投票に行かないということは、誰が政権の座に就こうがそれに従うという意思を自分の行動で示しているということでありますから、まさに独裁制を支持するという考え方。自分は人間としてではなく、奴隷として生きるという意思の表明であります》(産経新聞ニュース5/3(金) 18:35配信)

 投票するかしないかで<人間>か<奴隷>かと決め付けるのもまた軽薄に過ぎる。むしろこのような「脅し」に屈して投票することの方が余程<奴隷>的である。

 そもそも民主主義なるものが絶対的なものであり、その民主主義が要請する「投票」を行うことが<人間>としての責務であるなどと考えること自体が平等思想の<奴隷>なのではないか。 

 政治に興味関心が有る無しを問わず、ただ一人一票を積み重ねても良き代表を選べるはずがない。今の制度に代わり得るようなものがあるわけではないが、現在考えられ得る中で民主主義は最善の選択肢ではあっても、それを絶対的であるかのように考えて説教を垂れるのは知識人のあるべき姿ではない。

《一般的に言えば、自由、平等、民主主義、人権などの「目に見える価値」をそのまま信奉し、それを正義にしてしまうのが、左翼進歩主義です。一方、「目に見えない価値]の持つ歴史的で非合理的、慣習的なものを重視するのが保守です》(佐伯啓思『自由と民主主義をもうやめる』(幻冬舎新書)、p. 26)

という佐伯氏は左翼主義を次のように解説する。

《世の中は支配する側と支配される側に分かれる。世の中には支配され虐(しいた)げられ搾取(さくしゅ)される、弱者がいる。左翼主義とは、本来、こうした社会的弱者の救済や解放をめざすものです。しかし民主主義の下では、意思決定は議論や討論によって行われはするものの、最終的には多数決で決まります。すなわち多数派が勝つ。虐げられている側は基本的に少数派ですから、民主主義の下ではいつまでたっても弱者の主張を通すことができない。

 だから民主主義は形式的には平等な権利を保障しているものの、実際には支配と被支配を合理化し、弱者を搾取する手助けをすることになる。

 要するに、民主主義は本質的に欺瞞(ぎまん)である》(同、pp. 35-36)

 反権力を標榜する者たちは、弱者を民主主義によって救うのではなく、その欺瞞の中に閉じ込め、権力を掌握するために弱者の味方を装い勢力拡大を図る。

 が、こう考えるなら、高山教授の発言は失敗だったと言ってよいだろう。高山教授は教育者よろしく

「投票に行かないということが、民主主義への攻撃だ」(同、産經

などと聴衆を叱りつけてしまったからである。

 言葉巧みな政治家ならこう言うのではないか。

「みなさんが投票に行くことで社会は変わるのです」

と。【了】