保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

アイヌ新法成立について(2) ~アイヌはネイティブアメリカン、アボリジニと同列ではない~

《明治以降、政府は狩猟漁労によるアイヌ民族の生業を奪い、同化政策を進め、土地や文化、言葉などを奪ってきた。

 格差や差別がなくならない背景には、こうした歴史的経緯があるのは明らかだ。

 ところが、新法には法制化を必要とした理由が記されなかった。このため、「アイヌ民族にだけ特権を与えている」といった偏見を生むとの懸念も出ている。

 アイヌの人々が虐げられてきた歴史を考えれば、「特権」批判などできないはずだ。政府は過去を直視して心から謝罪し、国民に丁寧に説明を尽くす責務がある》(420北海道新聞社説)

 が、<アイヌの人々が虐(しいた)げられてきた歴史>といった見方は一面的であり、このようにアイヌ問題を論じることはやはり公平さを欠くと言わざるを得ない。果たしてアイヌの人たちは同化政策を全面的に否定してきたのであろうか。同化を歓迎したかどうかは別にして少なくとも容認する人たちが少なくなかったからこそ同化が進み、結果としてアイヌ文化が廃れてしまったという面も否定できないように思われるのである。

 戦後日本における弱者救済の流れがアイヌ虐待を針小棒大に語られていることはないのか。否、この傾向は世界的なものでもある。

《権利保障に関し、衆参両院の国土交通委員会は、07年に国連総会で採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」の趣旨を踏まえることを付帯決議に盛り込んだ。

 国連宣言には、自治権や教育権、土地やサケなど自然資源の利用権などが含まれており、日本も賛成票を投じている。

 これを受け、08年に衆参両院は「アイヌ民族先住民族とすることを求める決議」を採択し、新法を制定する流れができた》(同)

  United Nationsで言われる<先住民族>(Indigenous peoples)とは、基本的には大航海時代以降、主としてヨーロッパ人が南北アメリカ大陸やオセアニア地域で「侵略」「略奪」の限りを尽くした先住民族を指すものであり、これとアイヌを同列に論じるべきではない。敢えて言えば、これらをむしろ混同させることでアイヌ問題が成り立っている感すらある。

《カナダは、儀式や文化伝承だけでなく、自家消費のためのサケの漁業権を認めている。

 米国は自治権居留地での狩猟や漁業を認め、ノルウェー先住民族の言語を公用語化し、独自の大学や議会を設けた。

 2000年のシドニー五輪では、オーストラリアの先住民族アボリジニが先住権などの問題を提起して復権が進んだ》(同)

 このように侵略者、略奪者の末裔(まつえい)が先住民族の権利を回復するのは当然である。否、これでも生温いくらいである。【続】