保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

アイヌ新法成立について(1) ~アイヌ民族は現存するのか?~

アイヌ民族の誇りを尊重し、共生社会の実現を目指す新法がきのう、参院本会議で与野党の賛成多数で可決、成立した》(420北海道新聞社説)

 このようなことがほとんど話題にならずに決まるのはとても恐ろしいことである。これまでも私は幾度となくこの問題を取り上げてきた。そもそもの問題は「アイヌ民族」が今も存在するのかということにある。「民族」をどのように定義するのかということが問題となるが、少なくともアイヌと呼べる「人」は存在したとしても「民族」は存在しないというのが私の認識である。

 「民族」と呼ぶ限り、固有の文化、言語、宗教などが存在しなければならない。が、おそらく現在アイヌ語母語とする人は存在しないと考えられている。つまり、アイヌの血を引くとされる人たちが利権を求めて集まってきているだけではないかと憶測されるのである。にもかかわらず、どうしてこれほどあっさりと新法が成立するのか意味不明である。

 <あっさりと>の意味は、新法成立に抵抗することなく、ということである。果たしてアイヌ民族は現存するのか、そのことを問わぬ「アイヌ新法」など有り得ない。

《新法は、従来の文化、福祉施策から、地域振興を含めた総合施策へと踏み出す根拠法となる。

 特例措置として、文化伝承を目的とした国有林の林産物採取やサケ捕獲、アイヌ文化関連の商品に関する商標登録の手数料軽減を盛り込んだ。

 また、アイヌ文化の保存や継承、観光や産業振興、交流促進を含む地域計画を市町村が作成し、国が認定すれば交付金が出る。

 重要なのは、新法がこうした計画について、「アイヌの人々の自発的意思の尊重に配慮しつつ行わなければならない」と定めていることだ。

 計画の内容に、アイヌ民族の主体的な意思が確実に反映されなければ、復権にはつながるまい》(同)

 <文化伝承>と言うが、アイヌ文化は今どこに、そしてどのように存在しているというのであろうか。かつて見られた「文化」を歴史学問的に保存するというのでは趣旨が異なってしまう。アイヌ文化がすでに日本文化に吸収され固有の存在が認められないのであれば、利権欲しさにこれをわざわざ「造り出して」保存することになりかねず、何をやっているのかということになってしまうだろう。

《「先住民族であるアイヌの人々」。新法の第1条はこうした表現で始まる。アイヌ民族にかかわる従来の法律と大きく異なる点だ。差別禁止を明記し、アイヌ施策を国や自治体の責務とした。民族の儀式や文化伝承を目的にした国有林の利用、サケの採捕などに特例措置を設けた。

 政府が公式に「先住民族」と法律で認めたことは評価する声も多い》(「『先住民族であるアイヌの人々…』新法に明記、万感の声」:朝日新聞デジタル20194192249分)

 が、<差別>は許されないにしても、一般の北海道民と<区別>されなければこの話は成立しない。おそらく一般道民と同じ生活を営んでいるにもかかわらず、違いを言い立て、つまり、一般の人たちとは線引きをし、その一方で、<差別>はしてくれるなというのでは勝手と言うしかないのではないか。【続】