一燈照隅(池内の日記)

~天邪鬼(あまのじゃく)の独り言~

岐路に立つ民主主義(1) ~国民投票は代議制の否定~

過去の美徳にたいする報酬を求めてはなるまい、

なぜならば、

美貌も、知恵も、家柄も、体力も、功績も、

恋愛も、友情も、慈悲心も、すべてはあの

意地の悪い中傷好きな「時」の臣下なのだから。

世界じゅうの人間は一つの性質によって親類関係にある、

つまり新しいものと見れば声をそろえてほめそやす、

たとえそれが古いものの染めなおしであってもだ。

埃(ほこり)にまみれている本物の金よりも、

埃同然の金ピカ物をたいせつにするのだ。

シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』(白水Uブックス小田島雄志訳、p. 133)

《英国にとって残留は「現状維持」、離脱は「変化」でした…十分な選択の手がかりを得られない時、人が、現状維持より、新しさや変化を望む漠然とした熱、空気に流されやすくなるのは、ある意味自然かもしれません。いつもの選挙と違い、ただ一つの問題に白黒つけるという劇的要素も、その傾向を強めたでしょう》(1月27日付東京新聞社説)

 ドイツ主導のEUの政策に不満があるのも事実であり、EU離脱を決めた国民投票をただ<新しさや変化を望む漠然とした熱、空気>に流されたと考えるのは負け犬が自分を納得させるための勝手な言い分でしかない。そもそも「国民投票」自体が熱狂や空気に流され易いものであり、たとえ残留派が過半数を占めていたとしても同じである。

《離脱に伴うメリット、デメリット、つまりは「選択の手がかり」がしっかりと示され、それを国民が吟味した上で、投票がなされたのかといえば、どうもそうではなかったようです。最近の世論調査では、国民投票の結果とは逆に、「残留」派が「離脱」派に勝っており、再度の国民投票を求める声も根強いという事実がその証左でしょう。

 大体、十分な選択の手がかりが周知されにくい非常に多数の投票者-国民全体に、賛否の主張対立が激烈な命題を、いわば生煮え、あるいは“未熟”なままで委ねるというのは得策なのでしょうか》(同)

 「国民投票」に掛けるとはそういうものなのではないか。代議制とは、時間もなければ情報もない国民に直接判断を委ねることを避け、選挙で選んだ代議員に時間と情報を集中させ、議論によって物事を決めていこうという制度である。その代議制の本家本元が「国民投票」に重大な判断を丸投げしたことがそもそも問題だった、そう考えなければ話は始まらない。

《共同体の構成員全員による投票は確かに最もピュアな民主主義の「決め方」かもしれないけれど、こう見てくると、軽々に依存していい制度でもない気がします。

 逆に、もし大事な決定を委ねるのなら、命題が“熟し”ていることが前提になるということでしょう。議会やメディアを通じた国民的議論で、各選択肢の利点、問題点を詳しくあぶり出し、整理し、論点の理解が国民の間に広く染みわたるまで時間も手間もかける。それでやっと選択肢として熟す》(同)

 これもどこまでいけば機が熟したと言えるのかという問題があり、機が熟すのを待ち過ぎれば好機を逃すことにもなりかねないし、逆に機が熟しきらずに国民に直接判断を仰げば、今回と同じような批判が噴出するに違いない。【続】