保守論客の独り言

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象徴天皇について(4) ~陛下の務めは「祈る」こと~

《象徴の役割を9割近くが評価する一方で、現在も半数が距離を感じると回答した背景について、(関東学院大学教授の)君塚(直隆)氏は「天皇陛下が日ごろどのような活動をしているか情報発信が足りないためだ」と分析する。

英王室では広報担当がツイッターなどソーシャル・ネットワーキング・サービスSNS)を駆使して王室の活動を常時アピールし、エリザベス女王自身もツイッターに加え今月にはインスタグラムにも初めて投稿したという。君塚氏は「テレビや新聞だけでなく、宮内庁も自ら英王室のようにネットなどを使い発信に努めるべきだ」と話す》(毎日新聞 3/18(月) 21:34配信)

 が、日本の皇室と英国の王室を同等扱いするのは間違っている。日本の皇室は「宗教的存在」であり、英国の王室は「政治的存在」である。日本の皇室には政治的権力はなく、あるのは宗教的権威だけである。一方、英国の王室は元を辿(たど)れば権力闘争の勝者であり、今は権力争いからは遠ざかり「権力性」が弱まってはいるけれども、存在の根拠はやはり政治的なものとしか考えられない。

《日本の今の天皇制は、英国の王制にくらべては、はるかに非政治的で非権力的である。世界列国の憲法を通じて、日本の天皇ほどに非政治的非権力的な国王はない。しかし非権力的で非政治的であることは無力を意味せぬ。日本の天皇制は、列国の君主制の中でも、もっとも強力な社会的影響力をもっており、もっとも根強い国民意識に支えられている》(葦津珍彦(あしづ・うずひこ)『日本の君主制』(葦津事務所)、p. 22)

 次に、日本の皇室と英国の王室を混同するからこのようなことになるのであろうが、英国の王室が半ば人気取りで広報に力を入れていることの向こうを張って日本の皇室も発信力を高めるべきだというのはまったく馬鹿馬鹿しい。

 英国の王室は「世論(せろん)」(popular sentiments)に依存し、日本の皇室は「輿論(よろん)」(public opinion)に依拠する。だから、英国の王室は国民の人気取りが欠かせない。一方、日本の皇室は文化伝統に支えられた存在であるから国民の人気に一喜一憂することはない。

 日本の皇室は死者を弔う祭祀王であるがゆえに厳かで畏怖すべき存在である。ゆえに「距離感」がある。否、なければならない。だから、半数以上の国民が皇室と距離を感じると回答しているのは当然である。

《象徴としての評価が高かったことについて、長野県短期大の瀬畑源(はじめ)准教授(日本現代史)は「陛下は被災地で膝をついて被災者に寄り添うなど、意識的に国民との距離を近づけようとされてきた。その形が望ましいと思っている人が多かったということではないか」と指摘した》(同)

 仮にこのような形で国民との距離を縮めようとされておられるのだとしたら、それは宜(よろ)しくないと思う。否、たとえそうではなくとも、私は陛下が慰問や慰霊を行うことには基本的には反対である。なんとなれば、天皇は政治的活動からは距離を置くべきだと思うからである。

 慰問や慰霊といった活動は憲法に定められたものではなく行う必要はない。このような私的行為を膨らませた結果、「象徴としての務め」を十分に果たすことが出来なくなり「退位」されることになった。が、これは本末が転倒している。陛下の務めは祈ること。この基本に立ち返るべきだと私は思っている。【了】