保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

和暦元号について(3) ~元号なしに歴史は語れない~

《記者は旧くから其の必要を痛感していた事だが、此の際…元号廃止、西紀使用を主張したい。

 元来我が国に於て初めて元号を建てたのは大化の革新の際であるが、勿論支那の制度の模倣であった。而かも其の後も年号を定められない天皇は幾方かあり、大化革新の指導者であった天智天皇も其の一人であった。歴代必ず年号を建てるに至ったのは文武天皇大宝元年(西紀701)以来だと称せられる。

 然るに此の支那伝来の制度の為めに常に我が国民は何(ど)れ程の不便を嘗(な)めているか。早い話が大宝元年と云うても、西紀の記入でもなければ、何人も直ぐには何時頃の事か解るまい。

況(いわん)や欧米との交通の繁しい今日、国内限りの大正昭和等の年次と西暦とを不断に併用しなければならない煩(わずらわ)しさは馬鹿馬鹿しき限りだ》(石橋湛山元号を廃止すべし」:『東洋経済新報』昭和21年1月12日号「顕正義」:『石橋湛山全集』(東洋経済新報社)、pp. 161-162)

 後に首相となる人物がこの程度の認識だから頂けない。成程、大宝元年と言ってもいつ頃のことか解らないかもしれないが、逆にこれを701年と言えば解るのかと言えばそうでもない。否、むしろ大宝元年と言った方が、大宝律令が制定された頃だということが分かるだろう。実際、明治維新大正デモクラシー、昭和恐慌などなど、日本の歴史的出来事の多くが元号を冠している。

 そもそも元号がなければ天皇をどう呼称するのか。「明治天皇」「大正天皇」「昭和天皇」と呼べなくなり、第何代天皇とでも呼ばねばならなくなってしまうだろう。

《元號(げんごう)を廢して西暦一本で行かうといふ連動が陰に陽に進行しつつある、その動機は何か。たぶん次の二つであらう。一つは近代化、西洋化、國際化といふ明治以來、相も變(かわ)らぬ拜外心理の現れであり、論者はそれを合理主義と勘違ひしてゐる樣だが、實は頗(すこぶ)る安直な便宜主義、劃一(かくいつ)主義に他ならず、統制狂に道を通じてゐるものである。

(中略)

元號廢止のもう一つの動機は天皇制廢止、もしくは輕視の意圖(いと)であるが、これも右と同じ開化主義と同じで、君主制は保守的であり、共和制は進歩的であるといふ何の根據(こんきょ)も無い淺薄な考へ方に基づいてゐる。そして同樣に元號廢止は歴史、傳統(でんとう)の斷絶と文化の荒廢を齎(もたら)す》(福田恆存(ふくだ・つねあり)「元號と西暦、兩建てにすべし」:『福田恆存全集 第7巻』(文藝春秋)、pp. 142-143)【続】