保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

和暦元号について(1) ~天皇は夜空に輝く北極星の如し~

《歴史を振り返れば、多くの権力は、時を「統治の道具」として利用してきた。

 日本の元号も、「皇帝が時を支配する」とした中国の思想に倣ったものである。

 前漢(紀元前206年~8年)の武帝が、時に元号という名前を付けることを始めた。皇帝は元号を決め、人々がそれを使うことには服属の意味が込められた。一部の周辺国が倣い、日本では「大化」の建元が行われた》(3月21日付朝日新聞社説)

 シナの皇帝が時間を支配する証(あかし)として元号を定めたその顰(ひそみ)に倣って日本の天皇元号を定めたなどと一体だれが言っているのであろうか。

元号とは本来、シナの皇帝が宇宙の支配者であるとともに、時間の支配者でもあることを宣言するものであった。

 それに対して、シナ以外の国が独自の元号を持つのは、シナ皇帝の権威を否認し、シナと対等の国家であることを主張する意味があった。

(中略)

 元号とは、シナ以外の国では、反シナ、自主独立の象徴なのである》(岡田英弘元号とは何か」:『岡田英弘著作集III 日本とは何か』(藤原書店)、pp. 386-387)

 このように考えば腑に落ちる。推古天皇の御代(みよ)に小野妹子遣唐使として大唐に派遣された際、持参した国書に

「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無(つつがな)きや」

とあったのを隋の皇帝煬帝(ようだい)が怒ったという話が『隋書』にあるが、元号はこの国書と軌を一にするものである。

《1979年に現在の元号法が成立した際、元海軍兵士の作家、渡辺清は日記に書いた。

 「天皇の死によって時間が区切られる。時間の流れ、つまり日常生活のこまごましたところまで、われわれは天皇支配下におかれたということになる」(『私の天皇観』)》(同、朝日社説)

 戦後、天皇が現人神(あらひとがみ)でなくなってもなお、自分が天皇支配下に置かれているなどと考えるのは病的である。勿論、天皇が日本に存在する限り日本人は天皇の影響を免れることは出来ない。が、それを「支配」という言葉で表すのは適当ではない、否、間違っている。

 天皇は夜空に輝く北極星のような存在である。

玄謂う。日天天上帝とは、冬至に園丘(えんきゅう)に於(お)いて祀(まつ)る所の天皇大帝なり。(『周禮』巻18)
(私、鄭玄が考えるところでは、天の最高神である日天天上帝とは、冬至に王が、都の南の円丘で祭る、天の中心である「天皇大帝」、すなわち「北極星」のことである)

《「天皇大帝天皇が、北極星である」ということは、天皇が、この世の政治秩序の不動の中心であるということである。不動で安定している自然・宇宙の秩序と、人間界の政治秩序が重なる。これは、いまある政治秩序が、自然の秩序と同じように、不動で安定しているということを表す》(斎川眞『天皇がわかれば日本がわかる』(ちくま新書)、pp. 40-41)【続】