保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

戦前の歴史認識を改める時(1) ~日本海と東海の併記を迫る南北朝鮮~

日本海の呼称をめぐり韓国や北朝鮮が「東海」への改称や併記を主張している問題で、日本政府が、世界の海洋名称をまとめた指針「大洋と海の境界」を刊行する国際水路機関(IHO)側の強い要請に応じ、2国と非公式協議を開催する方針を固めたことが18日、分かった。意見対立は決定的で、IHOの次回総会で韓国と北朝鮮の主張が認められた場合、指針が60年以上を経て改訂され、東海という呼称が国際標準化される恐れがある》(産経デジタル 2019/01/19 05:04)

 戦前、朝鮮半島が日本領だった時代ならいざしらず、戦後、朝鮮が独立を回復してからは、日本、韓国、北朝鮮の3国によって囲まれた海を「日本海」と称するのが朝鮮半島の人々にとって気に入らないというのは分からないでもない。

《韓国と北朝鮮は1992年に国連の会議で「日本の植民地主義の結果だ」などと日本海の呼称問題を初めて提起。当初は「東海」への改称を求めていたが、近年は日本海との併記を訴えている》(同)

 が、日本は同化政策をとるべく朝鮮を「併合」したのであって、欧米帝国主義国のように搾取目的で「植民地化」したわけではない。事程左様に戦前日本は朝鮮半島で悪事を働いたかの如くの誤った歴史認識が、慰安婦問題にせよ、徴用工問題にせよ、あらゆる日韓問題の根っ子にある。当時の実態を知らぬお人好しの戦後日本人が朝鮮の情報戦に乗せられて戦前の日本を客観視できなくなってしまっている。

《当時の韓国の財政は破滅的状態で財源は涸渇し、政財界には不正と腐敗だけが蔓延していた。

 伊藤(博文)が統監として赴任した3年間、彼は祖国日本から無利子、無期限の資金3000万円を引き出し、韓国の道路、学校、土木工事、鉄道、病院建設にこれを充当した。

 彼は韓国および韓国人のために、中央政府の大臣と、地方長官には韓国人を任用し、日本人はその下の補助役に就かせるにとどめた。そればかりではなく、日本人には荒蕪(こうぶ)地の開発などの難しい仕事をやらせた。だがこうした事績は、韓国では(あるいは日本でも)、不当にも抹殺されて、顧みられることもない。(中略)

 李朝当時の韓国は、両班(ヤンパン)という堕落した不労所得者の貴族集団が、良民、農民たちから財産と生産物を奪い、百姓たちは瀕死の状態に喘いでいた。

 李朝の500余年間、正式の学校もなく、名ばかりの国立(官立)学校が4校あるにすぎなかったが、伊藤は、教育の重要性を考えて『普通学校令』を公布し、統監府時代(1906-1910)には、すでに日本の資金で100校以上が築造され、合邦以後もそれは続き、1943年には5000校に達した。

 また李朝の腐敗した統治にあってインフレーションに悩む民衆のために、朝鮮を「円通貨圏」に統合した。朝鮮史上、紙幣が流通したのは、実はこれが初めてのことで、これによって物価が安定し、朝鮮に「現代的貨幣制度」が確立された》(崔基鎬『歴史再検証 日韓併合』(祥伝社黄金文庫)、pp.18-19)

などという日本の善政は初耳だという人が多いに違いない。【続】