保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

韓国国会議長の天皇謝罪要求について(2) ~距離感を間違えるな~

《文氏は天皇陛下による謝罪で慰安婦問題が解決すると述べた。唐突で理解に苦しむ発言だ。そもそも天皇の政治利用は日本の憲法で認められていない》(2月19日付京都新聞社説)

 <天皇の政治利用は日本の憲法で認められていない>から謝罪できないというのは、独り日本側の事情でしかなく、韓国側は与(あずか)り知らぬことである。もし<政治利用>ということだけが問題なら人道的に謝罪するということも出来なくはない。

《発言は幾重にも不適切な点をはらんでいるが、最大の問題は、昭和天皇天皇陛下への重大な非礼である。昭和天皇が、いつ戦争犯罪者となったのか。先の大戦で日本と戦った連合国すら、そのようなことは認めていない》(2月13日付産経新聞主張)

 「東京裁判」は、裁判とは名ばかりで、事後法に基づく野蛮な「私刑」(lynch)でしかなかった。俄拵(にわかごしら)えで作られた「平和に対する罪」で裁かれた「A級戦犯」は、私刑の「被害者」であって「戦争犯罪者」ではない。

 また、昭和天皇儀礼的に大戦の詔勅は述べたものの、直接戦争を指示指導したわけではない。それどころか、昭和天皇は出来得る限り戦争を回避することを望まれてもいた。

 それよりも、韓国人は戦争当時「日本人」として共に欧米帝国主義国と戦ったのである。「事大主義」よろしく強い者に媚(こ)び諂(へつら)うのが韓国の歴史とはいえ、負けたからといって責任を日本だけに転嫁するのは卑怯というものである。韓国の辞書には「卑怯」にあたる言葉がないのだろうか。

《代を継いで日本国および日本国民統合の象徴でいらした昭和天皇天皇陛下への誹謗(ひぼう)は、日本の国と国民を中傷することでもある》(同)

 日本国憲法に阿(おも)った言い方であるので私なりに言い換えれば、天皇は他国の「国王」のような存在でも「神」のような存在でもなく、「半神半人」とでも言うべき日本独特の存在である。

 天皇には目に見える俗なる部分と目に見えない聖なる部分がある。そして目に見える部分よりも目に見えない部分、言い換えれば、心で感取する部分の方が遥かに深遠で荘厳な存在である。

 天皇に謝罪を求めることは、日本人の心の中に土足で踏み込み、日本の文化・歴史を否定するに等しい行為であって、断じて許されるものではない。

 文議長のスポークスマンは

「当時の天皇の息子が現在の天皇なので、そのような方が直接被害当事者である元慰安婦のおばあさんと会って手を握って悪かったと率直に話せば、その一言で被害者おばあさんの凝りがすべて解消されるのではという主旨の言葉だった。」(FNN PRIME 2/12(火) 6:31配信)

と言うが、おそらく人が変わればまた同じことを言い出すに違いない。

 例えば、2015年の日韓慰安婦合意には次のような謝罪の言葉がある。

慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。安倍内閣総理大臣は、日本国の内閣総理大臣として改めて、慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する」

 大統領を退けば犯罪者となるような、権力者が自分勝手に振る舞う国であるのだから仕方がないのであろうが、政治の連続性、継続性のない無責任極まりない国との距離感はくれぐれも間違えないようにしたいものである。【了】