保守論客の独り言

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日大アメフト悪質タックル問題(2) ~百ゼロ思考の危険~

《警視庁は5日、タックルした選手を書類送検する一方、前監督と前コーチによる選手への指示は認められなかったと結論した。

 えーっ、なんで!? ではあの反則は選手の勝手な暴走だったのか》(斎藤美奈子『本音のコラム』:2月6日付東京新聞23面)

 警視庁は、前監督と前コーチによる選手への指示は「認められなかった」としているだけで「なかった」とは言っていない。あったかなかったか真実は神のみぞ知ることであり、神様気取りで「あったはずだ」「あったに違いない」などと言って人を罰しようとするのは「魔女狩り」にも似て決してやってはならぬことである。

 が、斎藤女史は「認められなかった」とは「なかった」ということだと早合点し、反転して、「それでは<あの反則は選手の勝手な暴走だった>ということになってしまう」として疑義を呈しているわけだが、いやはやと言うしかない。

《どうして、こんな風に「100かゼロか」というシンプル思考に走るのだろう。前監督らの「刑事責任」を問えないからといって、警察が「選手の勝手な暴走」「記者会見での告白はウソ」と認定したわけではない。物事を極端に単純化し過ぎだ。

 さらに斎藤氏は、女子体操選手が日本体操協会からパワハラを受けたと訴えた問題等にも触れて、今回の警視庁の判断をこう結論づけている。

〈勇気をふるって声を上げた人たちの告発が認められず、指導者側に好都合な結論が出る理不尽。とても鵜呑みにはできない〉

 「鵜呑み」にする必要はなく、報じられた捜査結果に不審点があれば、それを指摘すればよい。だが、それもないままに「理不尽」と決めつける方が、よほど理不尽だろう》(江川紹子「悪質タックル『嫌疑なし』は『理不尽』にあらず」:Yahoo!ニュース 2/6(水) 19:51)

 理不尽だと考える自分を一歩退いてみれば、つまり、客観的に見れば、自分の考え方がむしろ「理不尽」であるかもしれない、ということにまで思い至らない。言い換えれば、自分を客観視できない未熟さが今回の騒動の元に在るのではないかということである。

 江川女史が

《被害者が刑事処罰を強く求めているならともかく、直接に利害はなく、また関係者たちの状況がよく分かっているわけでもない第三者が、なぜ、かくも熱くなって刑事責任の追及を求めるのかも、理解に苦しむ》(同)

と言うのも同感である。テレビ番組が流す無責任な情報に踊らされ、お茶の間の人達が「選手が可哀そう、前監督や元コーチは許せない」などと裁きを下すのは「遠山の金さん」気取りの、カイヨワ言う「遊び」なのかもしれないが、それも度を越すと有害でしかない。【了】