保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

自民・下村氏の「職場放棄」発言を巡って(2)~日本国憲法の中で憲法問題を考える愚~

憲法改正の是非を決める国民投票への参加は主権者国民の重要な権利だ。国民投票の制度を整えなければ大切な権利を行使する状態が損なわれ続ける。憲法を守れ、立憲主義を守れというなら野党も積極的に取り組むべきだ≫(1119日付産經新聞

 最右翼たる産經主張子が<主権者>だの<権利>だのと左翼思想に取り込まれてしまっている。そのことに気が付いていないのが憲法論議の悲しい現実である。君主から<主権>を奪取した市民が革命を起こし、それが全体主義へと雪崩れていったということの認識がおそらく欠落してしまっているのであろう。このような段階で憲法をいじくるのは拙速である。

すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。(世界人権宣言第1条)

などという地に足の着かぬ、つまりは、非現実的な「理想」を原点として思考を積み重ねていけば、現実離れした条文が羅列されることになっても無理はない。

 戦後日本は、最近流行りの言葉を使えば、日本の文化伝統を「ネグレクト」(無視)することの上に成り立っている。その象徴が、天皇条項を除けば、どこの国のことが書かれているのか分からない日本国憲法という存在である。が、庶民は日常生活を営む上で、いちいち日本国憲法を参照するはずもなく、むしろ日本国憲法の方こそ「ネグレクト」されているのである。

 が、日本国憲法を信奉する、日本の文化伝統を快く思わない人達は、事あるごとに「憲法違反」だと騒ぎ立て、日本を日本国憲法に描かれた「理想郷」(ユートピア)へと引き戻そうとする。

 が、それは彼らの頭の中での「理想郷」に過ぎず、現実は理想とは正反対の「反理想郷」(ディストピア)へと容易に反転しかねないということが分からない。自由と平等を目指した革命は抑圧と迫害を生んだ。ソ連もしかり、中国もしかり、北朝鮮もしかり。

≪最も大切なのは、憲法改正を目指す政党が改正案を審査会へ披露し、議論の俎上(そじょう)に載(の)せることだ。条文案の提示のかたちが望ましい。護憲政党は改正に反対する理由を堂々と語ればいい。国民への背信ともいえる「職場放棄」だけはやめてもらいたい≫(同)

 憲法はいかにあるべきかを考えることは大いに結構であるが、今は憲法をどう改正すべきかを条文化できるような段階にあるとはとても思われない。

 否、そもそも成文憲法が日本の文化伝統に合っているのか、そこまで遡(さかのぼって)考え直すべきだというのが「不文憲法」を主張し続けている私の立場である。【了】