保守論客の独り言

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207日裁判員裁判について ~裁判員制度は廃止すべき~

《殺人事件の被告に神戸地裁姫路支部無期懲役の判決を出すまでの審理期間が207日に及び、裁判員裁判で過去最長となった》(11月10日付京都新聞社説)

 当初は長期間拘束することにはならないとしていたのにどういうことか。裁判員制度のHPには次のようなQ&Aが掲載されている。

Q: 新聞に出ているような何か月,何年も裁判が続いている事件も裁判員が担当するのですか。

A: 法律の定めている対象事件に当たれば,原則として審理する期間に関係なく裁判員の担当する事件となりますが,例外的に,審判に要する期間が著しく長期になることが見込まれ裁判員の参加が非常に難しいような事件では,裁判官のみで裁判を行うことがあります。

なお,裁判員裁判では,法廷での審理を始める前に,裁判官,検察官,弁護人の三者でポイントを絞ったスピーディーな裁判が行われるように,事件の争点や証拠を整理し,審理計画を明確にするための手続(公判前整理手続)が行われます。

これまで行われた裁判の多くは5日前後で終わっています。

 そもそも当初から誰が裁判員制度導入を言い出したのか不明で、したがって、この制度の責任主体がどこにあるのかが分からないようないい加減な制度であったから、当初の話とは違って、今回のように長期間一般市民を拘束したことの責任を感じる人もいないのであろうと思われる。

裁判員制度は10年目に入り、審理の長期化や裁判員の辞退増など、さまざまな問題が見られる。

 今回の裁判員裁判が最長となった経緯や要因を検証し、裁判員の負担を減らす具体策を見いだす必要がある。市民の司法参加を掲げてスタートした制度だが、市民から敬遠されては何にもならない》(同)

 はっきり言って、廃止も視野に入れて再検討することが必要である。量刑の重さなどに市民感覚を取り入れるなどと言ってはいたが、実態は裁判員裁判での一審判決が二審で簡単に覆されることも少なくなく、すでにして制度自体が形骸化してしまっている。

 207日という長期間、一般市民が日頃の仕事を休み続けて裁判に参加するなどということが可能であると考えているとすればそれこそ非常識であろう。おそらく、無理と分かってはいたがやり切るしかなかったということなのだろうと思われるが、問題はこれが問題だと考えて対策を考える人間や部署がないという無責任体制にある。

 また、素人裁判員が207日もの間、裁判に参加することがどれほど精神的に苦痛であるのかという問題も検証すべきである。裁判内容によってはPTSD心的外傷後ストレス障害)的なことも心配される。

《2009年の制度発足当初は、審理期間の平均は3・7日だったのが昨年は10・6日に延びている。裁判員の辞退率も53%から66%と高くなっている》(同)

 玄人裁判官の判決が市民感覚とずれているのであれば、裁判に市民を参加させてこれを改善するというようなやり方ではなく、法律の専門家による第三者委員会のようなものでずれを指摘するような形をとる方が玄人裁判官への改善圧力になると思われるのであるが…

 どうして裁判員制度などという制度を導入したのか。「責任者出てこい!」と言いたいところである。