《兵は拙速を聞くも、未だ巧久を睹(み)ざるなり》(孫子)
「戦争には、多少まずい点があっても迅速に切り上げるという事例はあっても、完璧を期したので長びいてしまったという事例は存在しない」(浅野裕一『孫子』(講談社学術文庫)、p.31)
英国のEU離脱交渉もそんな気がする。
英国は国民投票によってEUから離脱する道を選んだ。が、まったく煮え切らない。勿論、離脱による混乱は避けなければならない。が、いかに有利な条件をEUから引き出せるかといった邪(よこしま)な考えに固執しすぎれば、離脱の道は険しいものとなるだろう。
《人、モノ、資本、サービスの自由移動は、EUにとっての大原則だ。単一市場の恩恵は受けつつ、移民は独自に制限する、という英国の「いいとこ取り」を、EUは認めない》(10月27日付朝日新聞社説)
のは当然である。一方、
《大きな障害となったのは英領北アイルランドとアイルランドの国境管理問題だ。EUは北アイルランドを関税同盟に残すことを提案。英国はそれが国家の分断につながると反発し、英国全体が一時的に関税同盟に残る案にこだわった》(10月20日付毎日新聞社説)
というのは、非常に繊細な問題であろうから、時間の許す限り最善の方法を模索すべきであろうとは思われる。
譲るべきはさっさと譲る、としなければ前向きの離脱は不可能である。
《無秩序な「合意なき離脱」の影響は、外国企業撤退などの経済面だけでなく、社会全般へと広がることも明らかになってきた。
例えば、EU加盟国への航空便乗り入れ協定も結び直さなくてはならず、ペット連れの旅行にもいちいち許可が必要になる。
英国とEUとの間でデリバティブ(金融派生商品)や保険などの金融取引ができなくなる懸念もある。英中央銀行によると、41兆ポンド(約6000兆円)もの決済に問題が生じかねない。
通関で物流も滞るため、配給制になるのではとの不安も広がり、家庭での食料や医薬品の備蓄も始まっているという》(10月24日付東京新聞社説)
が、どう離脱するのかという前向きの話ではなく、やはり離脱は間違っているという後ろ向きの話が根強い。
《当時、強硬離脱派の政治家らは「主権を取り戻せ」と訴え、多くの問題が解決するかのようなキャンペーンを繰り広げた。
いわく、EUへの出費がなくなれば、毎週約500億円を医療サービスに充てられる。低賃金で職を奪うEUからの移民が消える。英国人の暮らしは格段に良くなる――。これらの「公約」はその後、発言者本人らが間違いと認めている。
(中略)
国民投票の結果が重い民意であるのは確かだ。だが、当時語られた離脱後の未来の「事実」が実は正確でなかったのならば、どうか。いま一度、考え直す余地はあるのではないか》(10月27日付朝日新聞社説)
離脱をいかに活かすのかを考えるべきときに、いまだに問題を振り出しに戻そうとする意見がくすぶっているようでは成る話も成らなくなってしまうだろう。これはデモクラシーの「宿痾(しゅくあ)」というべきか。反対派がいつまでも反対し続ければ前へ進めない。
これはある種の保守主義、漸進主義のように見えなくもない。が、それは結果としてそう見えるだけのことであろう。ここには保守主義的な考え方も漸進主義的な手続きも見られないからである。