保守論客の独り言

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所信表明演説を巡る政治の貧困(2)~安倍首相は社会主義、共産主義者なのか~

《国の理想を語るものは憲法です。憲法審査会において、政党が具体的な改正案を示すことで、国民の皆様の理解を深める努力を重ねていく。そうした中から、与党、野党といった政治的立場を超え、できるだけ幅広い合意が得られると確信しています。

 そのあるべき姿を最終的に決めるのは、国民の皆様です。制定から七十年以上を経た今、国民の皆様と共に議論を深め、私たち国会議員の責任を、共に、果たしていこうではありませんか》(第197回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説

 国の理想を語るものが「憲法」だという憲法観は明らかに左翼思想に属するものである。が、安倍首相は日本の政治家の中で最も右寄りに位置する政治家と目されている。ということは、日本は「左翼国家」だということである。

 日本国憲法は、GHQの左翼気触(かぶ)れの人間が日本を骨抜きにするために書いた「占領基本法」であり、主権回復後も日本人がこれを破棄せず遵守し、その結果「左翼国家」と相成ったというのは驚きというか不思議であるに違いない。

 「自由・平等・博愛」、こんな綺麗事を間に受けるほど欧米人は純朴ではない。革命の熱狂がどのような悲劇惨劇を生じたのか、彼らは身に染みて分かっている。「自由・平等・博愛」は「理想」に過ぎず、これを現実だと考えるほど彼らは野暮ではない。

 が、極東には、本当に「純朴」で「野暮」な人達がいる。それが日本人である。多くの日本人が「自由・平等・博愛」という価値を絶対的なものだと信じている。それどころか、欧米人も信じていると信じている。

 <国の理想>って何だ。1億2千万の民がいれば、1億2千万通りの<理想>があるだろう。それを統合したものが<国の理想>というものなのか。統合することなど不可能であろうが、もし仮に統合できたとしても、結果はおそらく<国の理想>は非常に低劣卑俗なものとなってしまうであろう。

 では、だれか聡明な人物が高尚な<国の理想>を語ったとしよう。が、これはやはりその人物個人が考える<国の理想>であって、それを本当の意味での「国の理想」と呼ぶのは僭越(せんえつ)至極である。では、「国の理想」と認めるかどうかを民主主義的に多数決で決めることにするのか。が、やはりこれも多数派が認めた<国の理想>でしかなく本当の意味での「国の理想」とはならないだろう。

 否、そんなことよりも、端(はな)っから、現実的であらねばならぬ「憲法」に「理想」が入り込む余地などないのである。しばしば憲法は国家権力を縛るものという話があるが、「理想」などという緩々(ゆるゆる)な縛りでは権力を抑えることなど出来るはずがない。

 また、国の理想を語るものが「憲法」だとは一種の「設計主義」であって、日本を社会主義共産主義の国に導こうというのがこの所信表明演説だということになる。【続】