保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

柴山新文科相の教育勅語発言について(4)~70年前の議論は面白かった~

1948(昭和23)年5月27日に開かれた参議院第002回国会文教委員会での教育勅語に関する議論を見てみよう。

羽仁五郎 教育勅語が如何に間違つて有害であつたかということは、道徳の問題を君主が命令したということにあるわけであります。これは極く最近の、去る5月26日の朝日新聞の「天声人語」の中にもそういうことが述べられておりますが、この教育勅語が作られた時に、その制定に関係した井上毅法制局長官が、教育勅語の公布に反対していたことは注目してよい。

井上が山縣首相に送つた手紙には、今日の立憲政体の主義に從えば、君主は臣民の心の自由に干渉すべきでない。哲学上の問題は君主の命令によりて定まるべきものに非ず。從つて徳育に関することを勅語として発令することに反対し、山縣の反省を求めておる。という点を書いておりますが、この点に重大な問題があつたわけなのであつて、ですからこの内容が先つきからおつしやつておつた議論の中にもありましたが、教育勅語に述べられておる内容には、内容的には反対する必要がないものもあるというようなお考えもありましたが、そういう点に問題があるのでなくて、たとえ完全なる眞理を述べておろうとも、それが君主の命令によつて強制されたという所に大きな間違いがあるのである。

だから内容に一点の瑕瑾(かきん)がなくても、完全な眞理であつても、専制君主の命令で國民に強制したというところに間違いがある。從つてやがては全く違つたことが、専制君主の命令によつて命ぜられて、國民が率いてこれに従わざるを得ないで今日の不幸を招いたというところに、重大な原因があつたということを明らかにして、國民は自発的にこれを痛切な批判を以てこれを廃止する。そうして將來再びこういう間違いを繰返さないということが要請されておるのではないかと考えます。

 羽仁氏はマルクス主義の歴史家であったから、教育勅語に痛烈な批判を加えるのも当然であった。が、例えば<専制君主の命令で國民に強制した>というのはあまりにも粗雑な議論なのであって、戦前の天皇は<専制君主>ではないし、教育勅語天皇が国民に命じたものでもない。

 ここで次の柏木氏の反論が面白い。

柏木庫治 私は教育勅語が如何に悪かつたかというようなことは決してそうは考えないのであります。羽仁君が新聞を出されて、「朝日」にもこう書いてあり、井上もこう言つておるということでありましたが、「朝日」が書き、井上が書いたから羽仁君が出したのではなくてこれは羽仁君自身を語つておるのであります。と思いますのは、然らば今より10年前、20年前の朝日新聞を調べて見ましたならば、あの教育勅語が同民精神を通して良かつたという礼讃は沢山私はあると思います。そんならば朝日新聞にこう書いてあるからこれがいいと羽仁君が言うかと私は聞いて見たいのであります。

だから結局新聞の問題ではないということが一つ、もう一つは例えば3つか4つというと大変例がおかしいのですが、親が子供に仮に6つの時分に風邪を引いた。そうすると俺が飲みたくない嫌な藥を飲ました、だからこれは親が悪いんだ、若(も)しこう申しますならば、この議論が如何に当つていないかということも明らかだと思うのであります。これは歴史の流れでありまして、終戰のあの詔勅でありますが、若し百の東條、千の鈴木が戰爭を止めいと言つても止めなかつたろうと思うのであります。これは若しあの詔書が出なかつたならば、30年中國の山奥、フィリッピンで戰爭が続くだろうと世界の識者は述べたのでありますが、歴史上の一つの流れでありまして、あれがために良かつたこともありましよう。

又あの中に今から考えたら間違つたこともありましよう。併(しか)し我々がもうすでに今日はみずからの責任においてみずからを治め、國の政治に参與するだけに心持が成人した今日から考えて見れば、それはいけないことであります。でありますから單に今日からの問題でありまして、その功罪の問題に向つては私は内容に触れることの一切を止めまして、とにかく教育勅語は過去の文献であつて、現在は基本法で行くということをはつきりさして行くことによつて我々の心持の成人した姿もその中にあると思うのであります。おしめの御厄介になつておつて、大きくなつてから要らないものになつたからというてそれを悪く言うことは、やはり私は成人した心持の現れでないと思うのであります。

 「歌を忘れたカナリア」の如く、議論を忘れた今の国会では、このような粋(いき)な丁々発止は残念ながら期待できないのではないだろうか。【了】