保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

思想・哲学

都合の良い民主主義を語る民主主義信者(3) ~目指すべきは英国流の民主主義~

《第一次世界大戦後のドイツも同様です。当時、最も民主的な憲法とされたワイマール憲法を持ちながらも、ヒトラー率いるナチスの独裁を許し、戦争や虐殺で多くの命が失われました》(2月7日付東京新聞社説) が、丸山眞男は次のように言う。 《日本のファ…

都合の良い民主主義を語る民主主義信者(2) ~戦前の日本も民主主義~

《近代民主政治は、基本的人権の尊重、国民主権、権力分立という基本原理に基づいています》(2月7日付東京新聞社説) <人権>だの<国民主権>だのと言うこと辺り、<近代民主政治>なるものがいかに左翼色が強いのかが分かるだろう。歴史的、伝統的なも…

都合の良い民主主義を語る民主主義信者(1) ~「国民主権」は民衆の暴走を止められない~

《米国のバイデン大統領は1月20日の就任演説で、冒頭から民主主義に言及しました。 「今日はアメリカの日です。民主主義の日です」「私たちは候補者の勝利でなく、民主主義の大義の勝利を祝います」「私たちは再認識しました。民主主義は貴重で壊れやすい…

米下院が「ジェンダー用語」の書き換えを求めたことについて(3) ~自由を抑圧する平等~

当時、次世代の党に所属していた杉田水脈(すぎた・みお)議員は衆院本会議において、次のように指摘した。 「本来日本は、男女の役割分担をきちんとした上で、女性が大切にされ、世界で一番女性が輝いていた国です。女性が輝けなくなったのは、冷戦後、男女…

米下院が「ジェンダー用語」の書き換えを求めたことについて(2) ~公衆と新聞~

人類及びその社会は専門分化することで高度化を遂げてきた。男女の役割分担もその一つだと言えよう。が、<ジェンダーフリー>は逆に、社会の<低度化>を目指そうというものである。 《古代は卓越という方向において弁証法的である〔ひとりひとりの偉人―そ…

米下院が「ジェンダー用語」の書き換えを求めたことについて(1) ~忍び寄るジェンダーフリー~

Leaders in the House of Representatives announced on Friday a rules package for the 117th Congress that includes a proposal to use “gender-inclusive language” and eliminate gendered terms such as “father, mother, son, daughter,” and more. …

選択的夫婦別姓について(6) ~伝統とは長い目で見るべきもの~

《結婚制度や夫婦のあり方というのは、非常に長い時間で見ないと、いいか悪いか本当のことは分らないものだ、ということなんです。「人間一人の一生では見切れないものが沢山ある。それが伝統というものだ」とハイエク先生から直接聞いたことがありますが、…

選択的夫婦別姓について(5) ~家族解体はアノミーを招来する~

《デュルケイムは19世紀後半のフランス人で、社会学の祖というべき人である。 彼は人間にとって、また社会にとって、連帯感がいかに重要であるかという学説を展開した。 人間の連帯感のもっとも基礎となるのは家族である。家族の連帯感が親族に及び、地域…

参院選1票格差の最高裁「合憲」判断について(5) ~格差解消の妙案~

《1972(昭和47)年12月に行われた衆議院総選挙について,最高裁は,当時最大で1対4.99に達していた投票価値の較差につき,議員定数配分規定全体が不可分一体として違憲の瑕疵(かし)を帯びるにいたっていると判断したが,その前提として,「…

参院選1票格差の最高裁「合憲」判断について(4) ~「平等病」~

《「違憲」とした裁判官は、格差是正に向けた国会の努力不足を批判している。 国会は、15年公選法改正の付則で「19年選挙に向け、必ず結論を得る」と明記し、抜本的な選挙制度の見直しを約束していた。これについて、以降の取り組みは「内容が乏しい」と…

参院選1票格差の最高裁「合憲」判断について(3) ~合憲としなかったのは15名中4名~

《これで司法のお墨付きが得られた訳ではない。是正努力が不十分で、著しい不平等が続いているとして、15人の裁判官のうち3人が「違憲」とする反対意見を述べ、1人が「違憲状態」とした。重く受け止める必要がある》(11月19日付京都新聞社説) 他紙…

参院選1票格差の最高裁「合憲」判断について(2) ~「人間の権利」と「国民の権利」~

《前々回16年選挙で導入された鳥取・島根、徳島・高知の合区を、反対論もあるなかで維持したことを評価し、「格差是正を指向する姿勢が失われたと断ずることはできない」と述べ、合憲の結論を導いたのだ。 その視線はどこを向いているのか。立法府の振る舞…

「個人」とは何か(6) ~西洋思想の二元性~

私は、社会から切り離された<個人>なる存在を先験的に尊重しなければならないとは思われない。尊重すべきは、社会の一員として役割を担い、責任を負い、義務を果たす「国の民」である。 《個人と社会の関係で個人の側を重視するということは、社会を軽視す…

「個人」とは何か(5) ~デカルト教~

個人尊重派の大立者は、おそらくはルネ・デカルトであろう。 《いくたりもの棟梁の手でいろいろと寄せ集められた仕事には、多くはただひとりで苦労したものに見られるほどの出来ばえは無い》(デカルト『方法序説』(岩波文庫)落合太郎訳、p. 22) 「一人」…

「個人」とは何か(4) ~なぜ<個人>は尊重されるべきか~

《憲法13条は、人権の章にある規定であるが、「個人の尊重」原理は、人権保障にとっての基底的原理であるというだけでなく、日本国憲法が採用するすべての価値の基底に置かれるべきものとして理解しなければならない。平和・人権・民主主義(あるいは国民…

「個人」とは何か(3) ~個人の尊重~

日本国憲法第13条曰く。 すべて国民は、個人として尊重される(All of the people shall be respected as individuals)。 おそらくこの条文を受けてであろう、自民党綱領も「個人の尊重」を謳(うた)っている。 《自助自立する個人を尊重し、その条件を…

「個人」とは何か(2) ~明治期の翻訳語~

《「3助」について、首相の説明に見当たらないのはそのバランスです。共助には地域のつながりやNPO活動などに加え、保険料を出し合って生活を守る年金、医療、介護、失業給付などの社会保障制度も含まれます。そこから漏れる人を税で支える生活保護や各…

有名芸能人の相次ぐ自殺を考える(6) ~「アイデンティティという危機」~

《一義的なアイデンティティに硬直し,単一の価値に凝り固まった自己はもはや思考することはできない.自己―思考する存在者としての自己―にとっての危機は,さまざまな価値を整序化する何らかの中心的・支配的な価値が欠けていることーいわゆる「アイデンテ…

有名芸能人の相次ぐ自殺を考える(5) ~アイデンティティの危機~

《「自分が何者であるか」が社会とのつながりにおいて把握され、かつ実感されているものがアイデンティティであり、これが危機にさらされるとき、人はいきいきとした存在感や生の目標をもてなくなる》(宮島喬『デュルケム 自殺論』(有斐閣新書)、p. 96) …

有名芸能人の相次ぐ自殺を考える(4) ~アノミー~

《産業上あるいは金融上の危機が自殺を増加させるといっても、それらが、生活の窮迫をうながすためではない。なぜなら、繁栄という危機も、それと変わらない結果をもたらすからである。其の理由は、それらの危機が危機であるから、つまり集合的秩序を揺るが…

有名芸能人の相次ぐ自殺を考える(3) ~自己本位的自殺~

《自殺の第一の形態(自己本位的自殺)…その特徴は、行動への活力を弱める憂鬱なもの思わしさにある。事業、公職、有益な仕事、そして家庭の義務ですら、彼を、ただ無関心とよそよそしい感情にいざなうばかりである。 彼にとっては、自分自身の外へ出ていく…

有名芸能人の相次ぐ自殺を考える(2) ~反省と憂鬱~

ヨーロッパにおいて、同じキリスト教でもカトリックが多いところよりもプロテスタントが多いところの方が自殺率が倍高いというデータから、プロテスタントが「個人主義」的であるのが原因ではないかとデュルケームは考えた。 《たとえば、プロテスタントは自…

有名芸能人の相次ぐ自殺を考える(1) ~自殺の潮流~

三浦春馬、芦名星、竹内結子。立て続けに有名俳優が自ら命を絶ったことは、関係者のみならず国民に少なからず動揺と不安を醸(かも)しているに違いない。一体何が起こっているのか、やや難解な話に踏み込まざるを得ないのだけれども、少し考えてみたいと思…

大阪市廃止住民投票について(4) ~全体主義的手法~

大阪市を廃止するというやり方には、「全体主義」的なものが感じられる。全体主義と言えば、ソ連邦やナチスドイツが思い起こされるところであるが、全体主義化の第一歩が「中間組織」の破壊である。 《共通の世界が完全に破壊され、内部に何らの相互関係を持…

大阪市廃止住民投票について(3) ~漸進主義~

俳人松尾芭蕉の有名な言葉に「不易(ふえき)流行」がある。本質的なものを大切にしつつ新陳代謝を欠かさない。私はここに保守政治の本質があると思っている。その要諦(ようたい)は「漸進(ぜんしん)主義」にある。 漸進主義は、急進的社会変革を嫌う。一…

菅首相の「自助・共助・公助」発言について(3) ~累進課税と共産党宣言~

国に依存するということは個人の自由を放棄するということである。 《今日において社会主義とは、もっぱら課税という手段を通じて広範囲な所得の再配分を行なうことを意味しており、また、福祉国家という制度のことを意味するようになってきている》(F・A…

菅首相の「自助・共助・公助」発言について(2) ~「自助」とは何か~

(「菅氏の描く社会像は… 『自助』優先、弱者置き去りの懸念」:東京新聞2020年9月15日06時00分) 「自助」(self-help)とは、「共助・公助」を見据えた上で、「まずは自分でやってみる」ということではない。それでは「自らを助くる」ことにはならない。菅…

「よい政治」とは何か(4) ~信なくば立たず~

《子貢政を問ふ。子曰く。食を足らし、兵を足らし、民は之を信にす。子貢曰く、必ず已むことを得ずして去らば、斯(こ)の三の者に於て、何をか先にせんと。曰く、兵を去らんと。子貢曰く、必ず已むことを得ずして去らば、斯の二の者に於て何をか先にせんと…

「よい政治」とは何か(3) ~時処位~

「よい政治」であるかどうかは具体的状況次第である。 江戸時代初期の陽明学者・熊沢蕃山(くまざわ・ばんざん)は、物事の善し悪しは「時処位(じしょい)」によって変わることを説く。 《法は、聖人が時・所・位に応じて、物事に適宜であるように作られた…

「よい政治」とは何か(2) ~中庸の徳~

子曰く、中庸の徳たるや、其れ至れるかな。民久しきこと鮮(すくな)し。【雍也第六】 《政治に於て、治者と被治者との関係ほどに至難のものは無い。この関係を円滑に運転してゆくのが是れ即ち政治で、之が又政治の頗(すこぶ)る至難の所以(ゆえん)である…