保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

大阪「表現の不自由展」について(3) ~自由を破壊する自由は認められない~

大阪府の吉村洋文知事は9日…「表現の不自由展」が開催されていた名古屋市の施設で8日、郵便物に入っていた爆竹のようなものが破裂し、市が利用を停止したことを引き合いに「もう何が起きるか分からない。明らかに差し迫った危険がある」と指摘した。

労働センター内には保育所や就業支援施設があるとして「なぜ乳幼児がリスクを背負わされないといけないのか。非常に疑問でならない」と強調。労働センター側の利用承認取り消しについて「表現の自由が大切なのは分かるが、指定管理者の裁量の範囲内だと思っている」と述べた》(産経ニュース 2021/7/9 20:51

 新型コロナ感染者が増えれば経済を自粛し、「表現の不自由展」の危険が高まれば開催を許可しない。こんな意気地のない指導者を戴いている大阪は本当に不幸である。

 真の政治指導者の役目とは、危機管理を十全に行い、たとえ感染者が増えようとも経済を回そうと考えることであり、卑劣な脅しに屈することなく、いかに安全を確保し展覧会を開催するかを慮(おもんぱか)ることではないのか。

《民主社会を守る側に立つか、結果として壊す側に手を貸すか。「公」が担うべき役割は何か。自治体の姿勢が問われる》(7月10日付朝日新聞社説)

 朝日社説子は、<民主社会を守る側に立つ>のなら「表現の不自由展」を開催させるべきだとの考えなのだろう。が、私は、もし<民主社会を守る側に立つ>のなら、「表現の不自由展」は中止させるべきだと考える。それは暴力に屈するからではない。展示内容が公序良俗に反するからである。

《作品には政治的な意味合いも色濃く、賛否が分かれるのは当然だろう。だが表現行為に対する批判は、評論や新たな作品の創出などによってなされるべきだ。展覧会が威圧的な街宣などの実力行使で開けなくなることは、私たちの社会にとって危機でしかない。まして危険物が送りつけられたのであれば、民主国家として恥ずべき事態である。厳正な捜査を望む》(79日付東京新聞社説)

 これは賛否の問題ではない。表現行為に対する批判は表現行為によってなされるべきなのは一見もっともである。が、これは抽象論的綺麗事に過ぎず、<表現の放恣(ほうし)>によって社会秩序が乱されているのに、表現には表現で批判せよなどと言っていたら「自由」は守れないだろう。「自由を破壊する自由は認められない」ということは、自由社会を成り立たせる前提であることを今一度確認しておくべきであろう。

《脅迫や威圧によって表現の場を封じることは、民主主義や自由な社会に対する重大な挑戦である。卑劣な行為を強く非難する》(7月10日付信濃毎日新聞社説)

 その通りである。が、同時に、公序良俗に反する作品を展示しようとする卑劣な行為も非難すべきである。

表現の自由は、民主主義の基盤であるだけでなく、誰もが他者と関わり、自律して生きていくために欠かせないものだ。暴力や威圧におびえて人々が口をつぐみ、自由な表現を尻込みするようになれば、社会は暗色に沈み、個の尊厳は保てなくなる》(同)

 結局大事なのは<個の尊厳>ということであるが、天皇や特攻隊員の尊厳を踏みにじる作者の尊厳などどうして守る必要があろうか。

 <暴力や威圧>に屈してならないのは、自由社会を守るためであり、それを成り立たせる社会秩序を維持するためである。誤解なきように。【了】

(追記)我那覇真子(がなは・まさこ)女史は、「表現の不自由展」への入場を拒否され、これでは「入場の不自由展」だと非難している。

https://www.youtube.com/watch?v=gGGsoQSHXMs

f:id:ikeuchild:20210719031707p:plain



大阪「表現の不自由展」について(2) ~本質は昭和天皇や特攻隊員に対する侮辱~

慰安婦」とは当時合法だった「公娼」に過ぎない。貧しいがゆえに、金になる「売春」の道に進まざるを得なかった。その象徴が「少女像」なのである。

「少女像」は、借金の形に親が娘を売ったことや朝鮮人の女衒(ぜげん)が甘言を弄して朝鮮人の婦女子を売春に引きずり込んだといった悲しい歴史を想起させる。朝鮮人は、日本人を非難しようとこの像を世界中に設置しているようだが、実際は、自分の親たちの恥辱の歴史を広く世界に知らしめてしまっているだけである。

 だから、「少女像」が問題なのではない。問題の作品は2つ。1つは昭和天皇御真影がバーナーで焼かれ、燃えカスを靴で踏み付ける動画、もう1つが、神風特別攻撃隊員の寄せ書きを祠(ほこら)に被せ、「間抜けな日本人の墓」と称して英霊を侮辱している作品である。

f:id:ikeuchild:20210622032320j:plain

f:id:ikeuchild:20210622032309j:plain

(注)画像は大阪会場のものではなくあくまで参考資料。

 こういったものを嬉々として展示しようとする神経が分からない。他人が嫌がるのを見て喜ぶ。もはや「異常者」と言うしかない。

 否、彼らは彼らなりに「正常」なのかもしれない。だとすれば文化的価値観が異なる「異邦人」ということだ。が、日本人の倫理観や道徳観を踏みにじる「異邦人」の好き勝手を許すべきではない。でないと、日本が日本でなくなってしまう。

 「異邦人」は日本の平和と安寧を貪(むさぼ)りつつ、好き勝手なことを言い行動する。が、このようなことが罷り通れば、日本の安全は脅かされ、安心は失われてしまうだろう。が、「異邦人」にとって日本の未来など知ったことではないだろう。彼らには過去から引き継いだものを未来に引き渡す義務感もなければ責任意識もないだろう。

表現の自由とは何か。それが侵されたとき、社会はどうなるか》(7月10日付朝日新聞社説)

 いかにももっともらしい問い掛けだが、本当に問われなければならないのは、<表現の自由>はどこまで認められるのかということだ。

 昭和天皇や特攻隊員を侮辱できるのは、誤った歴史認識が根底にあるからだろう。おそらく大東亜太平洋戦争が日本の侵略戦争であり日本の黒歴史だと信じ込んでいるに違いない。これは戦後教育の問題が大きいと思われるが、これだけ様々な著作や資料が公開されているにもかかわらず、未だに戦勝国が押し付けた自虐史観東京裁判史観」に呪縛され続けているのは、怠慢でなければ、事なかれ主義の臆病者と言わざるを得ない。

《展示作品を批判する自由はもちろんある。しかし表現には表現、言論には言論で対抗するのが鉄則ではないか。

 こうした卑劣な行いがまかり通れば、多様な意見や多様な芸術に触れ、自由に議論を交わすことによって成り立つ民主主義は、土台から崩壊してしまう》(同)

 論点が完全にずれている。暴力や恐怖によって<言論の自由>を侵害することを誰も良しとはしていない。問題なのは、昭和天皇や特攻隊員を侮辱し、社会秩序を掻き乱すことが許されるのかということである。【続】

大阪「表現の不自由展」について(1) ~「表現の自由」はどこまで認められるのか~

《「表現の不自由」をテーマにした展示会の会場となる大阪の施設が、先月、いったん受け付けた利用の予約を取り消したことについて、大阪高等裁判所も地裁と同様に、15日、施設の利用を認める決定を出し、展示会は16日から予定どおり、開催されることになりました。

(中略)

阪高裁の本多久美子裁判長は15日、「主催者が平穏に開催しようとしているのに、その思想などに反対する他のグループなどが実力で妨害しようとするおそれがあることを理由に公の施設の利用を拒むことは憲法の趣旨に反するといえる。警察の適切な警備などが想定されるので、重大な危険が生じることが具体的に予測されるとまではいえない」と指摘して即時抗告を退け、地裁と同様に施設の利用を認める決定を出しました》(NHK NEWS WEB 07151822分)

 司法判断はこうならざるを得ないだろう。が、本当の論点は施設利用を拒む危険があると判断されるか否かということではない。マスコミはこの本当の論点を捨象(しゃしょう)し、<表現の自由>を暴力から守れ、などと自分勝手なことを言っているのはいつもの光景である。

 本当の論点は「表現の不自由展」の作品が公序良俗に反するか否かということにある。言い換えれば、「表現の自由」がどこまで認められるのかどうかということである。

 「自由」は無制限なのではない。当たり前であるが、自由を破壊する自由はない。つまり、「自由」は「秩序」の範囲内において認められるということである。

 社会には秩序を成り立たせている目に見えない「法則」(law)がある。この「法則」に従うのが「法の支配」ということである。この「法の支配」を攪乱する「自由」の行使は、もはや「自由」ではなく「放恣(ほうし)」「放縦(ほうじゅう)」「放埓(ほうらつ)」と呼ぶのが相応しい。「表現の不自由展」は、その内容からすれば、「表現の放恣展」と呼ぶべき代物だ。

 しばしば代表的展示物として「少女像」が取り上げられる。

f:id:ikeuchild:20210719024415p:plain

https://www.mbs.jp/news/kansainews/20210716/GE00039294.shtml

 が、これは1つの「像」であって、それ以上でもそれ以下でもない。この像が「慰安婦」を表現したものだというのは勝手な思い込みである。それどころか、「慰安婦」という用語自体、戦時中、日本軍が朝鮮の婦女子を連れ去り性奴隷としたなどという嘘が罷(まか)り通ってしまっている。

《米政府がクリントン、ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった。(中略)

米政府の調査結果は「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)米国議会あて最終報告」として、2007年4月にまとめられた。(中略)

調査対象となった未公開や秘密の公式文書は計850万ページ。そのうち14万2千ページが日本の戦争犯罪にかかわる文書だった。

日本に関する文書の点検基準の一つとして「いわゆる慰安婦プログラム=日本軍統治地域女性の性的目的のための組織的奴隷化」にかかわる文書の発見と報告が指示されていた。だが、報告では日本の官憲による捕虜虐待や民間人殺傷の代表例が数十件列記されたが、慰安婦関連は皆無だった》(産経ニュース 2014/11/27 05:10​【続】​