保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

東京新聞の偏った憲法論(4)~憲法の理非曲直を正すべき~

《ワイマール憲法との類似点もある。

 例えば生存権である。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の条文だ。その他、ワイマール憲法では主権在民や男女平等の普通選挙。教育を受ける権利しかり、自由権しかり、労働者の団結権もしかり…。

 ワイマール憲法は当時、世界で最も民主主義的で、輝ける憲法だったのだ。「平和主義」の日本国憲法も今なお世界最先端をゆく、輝ける憲法だと考える》(11月3日付東京新聞社説)

 その<世界で最も民主主義的で、輝ける憲法>がナチスを生んだ。これは紛れもない事実である。ナチスがワイマール憲法の抜け穴を衝(つ)いて権力を奪取したかのような誤解があるかもしれないが、むしろナチスはワイマール憲法が最も民主主義的であるからこそ生まれた「鬼子」と言うべきものである。民主主義は絶対的であればあるほど国民の暴走を止められなくなる。そこに大きな落とし穴がある。

 社説子は、日本国憲法を「平和主義」ゆえ<今なお世界最先端をゆく、輝ける憲法>と言うが、そのような評価を下しているのはごく一部の人達に限られるだろう。なにせ非武装を謳った憲法9条があるにもかかわらず、日本には自衛隊という事実上の軍隊が存在する。こんな「欺瞞(ぎまん)憲法」が輝いて見えるのは、現実が目に入らない「夢見る夢子ちゃん」でしかない。

臨時国会安倍晋三首相は「自民党総裁として」と断りを入れ、九条改正を促した。持論は自衛隊の明記だ。「自衛隊員の正当性の明文化、明確化は国防の根幹だ」と答弁した。

 不思議だ。自衛隊に正当性がないのか? 歴代政権は「合憲」と正当性のお墨付きを与えてきたではないか。国民の大半の支持がある。法制度も整っているのに。

 九条改憲案が国民投票で可決されても首相は「(現状に)変わりがない」と述べ、否決されても「(合憲に)変わりがない」と過去に言った。ますます不可解だ。改憲の動機が空疎なのだ。

 「平和主義」は戦後日本が国民との間で交わした最重要の社会契約である。しかも世界に、アジア諸国に向けた約束でもある》(同)

 社説子は自衛隊合憲論者なのだろうか。専守防衛自衛隊は実際上必要であり、自衛隊憲法9条2項の条文に抵触しない、という立場なのであろう。が、9条2項には「交戦権否認」もある。たとえ防衛であっても戦闘行為を行えばこの規定に抵触する。つまり、社説子の考えは、戦闘行為を行わない限りにおいて自衛隊をただ保有しているだけであれば違憲にはならないというごまかしの話でしかない。

 一方、安倍首相の憲法への自衛隊保持明記も、社説子の指摘の通りおかしな話である。歴代内閣同様安倍内閣自衛隊が合憲だというのであれば憲法を変える必要はない。

《そもそも憲法改正には限界がある。立憲主義国民主権も平和主義も基本的人権も権力分立も、憲法の根本原理だから改正不能でないのか》(同)

 そもそも論で言えば、現行憲法は日本の主権が剥奪されたGHQ占領下において制定されたものであり、ハーグ陸戦協定違反である。であるなら、やはり自主憲法を制定し直すことがどうしても理非曲直を正すために必要なのではないかと思われるのだが…【了】

東京新聞の偏った憲法論(3)~日本国憲法前文は借り物競争~

日本国憲法前文(2):そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people.

 これはリンカーンゲティスバーグ演説の有名な件(くだり)"government of the people, by the people, for the people”(人民の、人民による、人民のための政治)を下敷きにしていると言われている。

日本国憲法前文(5):日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

We, the Japanese people, desire peace for all time and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.

マッカーサー・ノート:It(=Japan) relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.

(日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に信頼する)

 これは、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーのメモを元に書かれたものであろう。”the higher ideals”(崇高な理想)という余りにも抽象的で具体的に何を意味するのか分からない文言の出処(でどころ)はここにあったと考えられる。

日本国憲法前文(6):われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

We desire to occupy an honored place in an international society striving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from the earth.

テヘラン宣言:We shall seek the cooperation and active participation of all nations, large and small, whose peoples in heart and mind are dedicated, as are our own peoples, to the elimination of tyranny and slavery, oppression and intolerance.

(われらは、われら自身の国民と同様、国民が専制と隷従、圧迫と偏狭を排除せんと全身全霊打ち込んでいる、大小すべての国家の協力と積極的参加を求める)

 <専制と隷従、圧迫と偏狭>などという日本の歴史文化に不釣合いな言葉は1943年のテヘラン宣言に由(よ)るものであろう。

日本国憲法前文(7):われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

We recognize that all peoples of the world have the right to live in peace, free from fear and want.

大西洋憲章:Sixth, after the final destruction of the Nazi tyranny, they hope to see established a peace which will afford to all nations the means of dwelling in safety within their own boundaries, and which will afford assurance that all the men in all the lands may live out their lives in freedom from fear and want;

6、ナチ暴政の最終的破壊の後、両国は、すべての国民に対し、各自の国境内において安全に居住することを可能とし、かつ、すべての国のすべての人類が恐怖及び欠乏から解放されて、その生命を全うすることを保証するような平和が確立さることを希望する)

 この<恐怖と欠乏から免かれ>も違和感があるが、1941年の太平洋憲章から書き写したものであろうと思われる。否、そもそも今更どうして日本国民が全世界の国民に平和裏に生きる権利があるということをわざわざここで確認しなければならないのかが分からない。【続】

東京新聞の偏った憲法論(2)~酷いGHQ英文草案と和訳文~

日本国憲法は英国の「権利の章典」、米国の独立宣言や合衆国憲法、フランスの「人権宣言」などの思想を踏まえる》(11月3日付東京新聞社説)

 <思想を踏まえる>というよりも先行文献を「切り貼り」し、これを下敷きにしているだけである。

日本国憲法前文(1):日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the national diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this constitution.

米国憲法前文:We the People of the United States, in Order to form a more perfect Union, establish Justice, insure domestic Tranquility, provide for the common defense, promote the general Welfare, and secure the Blessings of Liberty to ourselves and our Posterity, do ordain and establish this Constitution for the United States of America.

われら合衆国の人民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のうえに自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、アメリカ合衆国のために、この憲法を制定する。

 日本国憲法はGHQによって作成された草案を日本語に翻訳したものである。前文第1文は米国憲法前文を下敷きにしている。

 1文がこれほど長いことからして、即「悪文」であると知れるが、語句の修飾関係、文章の構造を読み解くのはそれこそ至難の業である。具体的な分析は別の機会に譲るが、英文も酷(ひど)ければ、それを逐語訳した日本語も酷い。そして何よりここに盛り込まれた思想が酷過ぎる。それは、元々の米国憲法にない付け加えられた部分にある。

 まず、<正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し>(acting through our duly elected representatives in the national diet)の部分である。日本語からはうまく読み取れないが、この分詞構文のing以下の語句は直後の「決意した」(determined)に懸かる。「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、that以下を決意した」とは、要は、この憲法は、米国が押し付けたのではなく「日本人が自発的に作った」と言いたいのではないかと推測される。つまり、GHQが日本にそう言わせたということである。

 次に、<政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに>の部分である。勿論これは戦前の日本政府が軍国主義よろしく国民を戦争へと駆り立てたという戦勝国史観を踏まえたものであろう。が、戦後70年以上が過ぎ、共産主義コミンテルンが日本に戦争を嗾(けしか)け、英米が日本を日米開戦へと追い込んだことが明らかになってきている。

 今後日本が戦争に巻き込まれないようにするためには、日本よりもむしろ、大戦後も戦争や紛争を起こし続け利権を得てきた国連常任理事国たる米英仏露中の戦勝国側に9条の箍(たが)を嵌(は)めなければならない。

 最後の<主権が国民に存する>は昨日も扱ったから言わずもがなである。【続】