保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

今回の自民党総裁選は要らないという橋下徹氏の浅慮(3)

《どうしても必要なのが二大政党制だ。政権交代可能な選挙制度であり、与野党がしっかりと「選挙の顔」を作って、党の方針を国民に示す。そして有権者が選挙で選択する。有権者は、党のリーダーが国のリーダーになることを前提として各国会議員に投票する。つまり現在の制度においては、有権者は各国会議員を選んでいるだけではない。国のリーダーも事実上、選んでいる。この有権者の選択を最大限に尊重することが民主主義そのものだ》(橋下徹PRESIDENT Online 2018/09/12 11:15

 私は橋下氏が「中身」よりも「形」にこだわっているように思えてならない。確かに<二大政党制>や<首相公選制>は1つのあるべき姿で有り得る。が、<二大政党制>や<首相公選制>が導入されれば、今日本の政治において問題となっていることが解消されるかと言えば、そんなことは言っていない。そうではなく、有権者の意思がなるたけ反映される制度が良い制度であるという考えの下にこのように言っているように聞こえるのである。

 二大政党制について言えば、それを目指して誕生した2009年の民主党による政権交代は大失敗であった。日本丸の舵取りは口で言うほど簡単ではなかったということである。勿論、最初から何の問題もなく自民党に取って代われるなどとは誰も期待してはいなかっただろうが、それにしても酷すぎた。だからもし二大政党制を言うのなら、無責任な素人の寄せ集めの野党連合よりも、自民党を二つに割るしかないだろう。

 が、今回の自民党総裁選を見ても分かるように、今の自民党に党を左右に割るだけの活力は見られないし、そもそも党を割ってまで競うべき考え方の違いは見られない。国会議員の3分の2を占める自民党が1つの考え方に凝集してしまっている。

 が、これは由々しき事態であって、日本が置かれた状況が大きく変化した場合、それに対応する準備がないということを意味する。米国にべったりの安倍政権のやり方に異論がないようでは、もし米国から日本が突き放されてしまったら身動きがとれなくなってしまう。例えば、日米安保が見直されるようなことになれば、日本はどうやって国土国民を守ろうと言うのか。

 が、間違ってはならないのは、様々な意見が存在するかどうかが問題なのであって、二大政党制という枠の問題ではないということである。多様な意見がすでに存在し、それを担保するために二大政党制が必要であるというのであれば問題はない。が、二大政党制を敷けば意見が多様化するというのでは話の順序が逆である。

 蛇足であるが、ここ何年か、政治家もマスコミも、そして国民も、森友、加計、日報のような下らない話題に意識が集中してしまっていたことが、政治の中身を空洞化させる原因とまでは言わずとも大きな要因であったように私には思われるのであるが…(了)

今回の自民党総裁選は要らないという橋下徹氏の浅慮(2)

橋下徹氏は言う。

《日本の国は、現在のリーダーをいつ決めたのか。それは昨年20179月に行われた衆議院議員総選挙だよ。このときに安倍さんは自民党のリーダーとして選挙戦を戦い、有権者の多くは安倍自民党に所属する国会議員に一票を投じて、自民党公明党連立政権を誕生させ、その結果安倍さんが首相に選出された。ここで有権者の意思はしっかりと示されたんだ。

それなのに、今回の自民党総裁選という一私的団体に過ぎない政党のリーダーを決める選挙で、日本国のリーダーが変更になるとしたら、有権者としてはたまったものじゃない。20179月に600億円ほどかけてやった衆議院議員総選挙は何だったのか? となる》(PRESIDENT Online 2018/09/12 11:15

 <何だったのか?>とはならない。日本が採用している間接民主制は、国政選挙において各選挙区の国会議員と政党を選んでいるだけであって、首相を選んではいない。自民党を勝たせれば自動的に自民党の総裁が首相となるわけであるが、自民党の現総裁が最も首相にふさわしいとして自民党に票を投じるわけではない。

 かつてのような中選挙区制であれば、自民党の中のどの派閥に1票を投じるのかということを通じて、党内派閥の当選議員数が総裁選びに影響を与えるということもあったと思われるが、今のような小選挙区制では、国民は大雑把に政党を選ぶことしか出来ない。したがって、実質上国の首相を決めることになる自民党総裁選挙を端折るわけにはいかないのである。

 ここからが橋下氏の持論である。

《かつての政治システムは、権限と責任が不明確で、有権者の意思によって政治行政が動く仕組みではなかった。有権者が選挙でどのような意思を表示しようとも、有力な自民党支援者の声や霞が関の省益を重視した政治行政が進められていく。そして誰がリーダーであっても変わらないという諦めを有権者は抱くようになる。

まあ、これは高度成長時代において、皆で利益を配分することが中心だった政治には向いているシステムだったのかもしれない。有権者の意思よりも、利害の調整重視。

しかし今の時代は、これまでやってきたことの見直しが強く求められる。時には国民に負担を求めることもしなければならない。激動する世界情勢の中で、日本の方針を明確に示し、それを迅速、的確に実行していくことが必要となる。このような場合には、リーダーによるトップダウン型のマネジメントの方が、ボトムアップ型よりも重要になってくる。ゆえに今のような官邸が力を持つ政治システムが向いている》(同)

 2つの問題が混在してしまっている。1つは有権者の意思をいかに政治に反映させるのかということ、もう1つは、以前のような「利益の分配」から現在のような「不利益(負担)の分配」への政治の在り方の変化である。(続)

今回の自民党総裁選は要らないという橋下徹氏の浅慮(1)

安倍晋三首相と石破茂・元自民党幹事長の一騎打ちとなった自民党総裁選。(略)現在の論戦の低調さを嘆く声が、メディアやインテリの中では強いと感じるね。彼らは、安倍さんと石破さんで、日本の進むべき方向性について徹底論戦せよ! と発破をかけている。

でもね、そもそも今回のように国政選挙で現総裁が否定されていない中での自民党総裁選は民主主義を破壊しかねないものであって、今回を最後に止めるべきだ》(橋下徹「なぜ今回の総裁選はいらないか」:PRESIDENT Online 2018/09/12 11:15

 橋下氏の言う<民主主義>とは何だろう。国政選挙で国民の信任を得た総理たる自民党の総裁が党内の選挙で否定されるような事態になれば本と末が転倒してしまうと言いたいのだろうか。

 が、国政選挙はあくまでも国会議員を選ぶ選挙である。勿論、その国会議員が所属する政党の勝ち負けが問題であり、与党の代表が首相となるという意味では、どの党の代表が総理にふさわしいのかも国民の投票判断に含まれているとは思われる。が、それでもやはり国政選挙は国民が内閣総理大臣を選ぶ「首相公選制」とは似て非なるものである。

 小選挙区制は立候補者自身よりも政党を選ぶ側面が強いとされる。総選挙で信任されるのは「政党」である。勿論、政党の方向を定めるのは党の代表たる総裁であるから、間接的には現総裁が信任されたとも言えるだろう。が、それは安倍自民党か枝野立憲民主党かの選択であって、安倍自民党か石破自民党かの選択ではない。総選挙で自民党が信任されたとしても、それが安倍自民か石破自民かを問うていない。それを問うのが総裁選なのである。

 誤解のないように付け足せば、ここで問われているのは安倍自民か石破自民かということである。安倍か石破かではない。つまり、総選挙によって信任された自民党の枠内において相応しい総裁を選ぶのが総裁選挙だということである。もし、総選挙によって信任された枠を超えてしまうようなことがあれば、それは橋下氏が懸念するような民主主義の否定になりかねず、その場合は再度国民の信任を得直す必要もあるだろう。

自民党のリーダーを決めるのは自民党員なんだよね。だから自民党員でない僕は、当然、今回の総裁選において一票を持っていない。多くのメディアやインテリたちは、安倍さんと石破さんは徹底論戦せよ! と言うけど、じゃあ一票を持っていない国民にとって、それはどのような意味を持つのか?

結論として、何の意味もないし、むしろ有害でさえある》(同)

 これは現代の「民主主義」が分かっていない妄言である。古代ギリシャアテナイのような小さな町であれば自らがあらゆることに関与することは可能である。が、現代のように規模も大きく複雑になった国においては、自らがすべてに関与することなど不可能である。したがって、自分が関与しないところにおいても民主主義的手続きは重要であり、現段階において自民党の総裁が首相となるのであるから、たとえ直接的に投票することは出来なくとも間接的に意見を述べることは意味のあることであり必要なことであろうと思われる。(続)